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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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カッシーラー 『シンボル形式の哲学 第三巻 認識の現象学(下)』(その2)

最終的に確定し、変わることのない絶対的与件といった意味での事実性などといったものはありはしないのであり、われわれが事実と呼ぶものは、いつもすでになんらかの仕方で理論によって方向づけられており、ある種の概念体系に照らして見られ、それによって潜在的に規定されているにちがいないのだ。(p.244)


これも明確な「観察の理論負荷性」についての言及なのでメモしておく。



 独断的な経験論も独断的な合理論もいずれも、認識のこうした活動性、こうした純粋な過程(プロツェス)-性格を正当に扱いえないことによって挫折してしまう。両者ともに、認識の真の駆動力であり、認識そのものの運動の原理である両極性を否認することによって、この過程-性格を破棄してしまうのである。対立しあう二契機をたがいに関係づけ、思考によってそれらを媒介する代わりに、むしろ一方を他方に還元しようとするのでは、この両極性が消し去られてしまうのも当然である。経験論は、構成的概念を<所与>に解消させることによってこの還元をおこない、――合理論は、逆にそれぞれの所与そのものにおいて、それが概念的に規定されているその形式だけを取り出すことによってそれをおこなう。だが、いずれのばあいにも、物理学的認識の対象領域がその対置のうちではじめて真に構築される基本的対立項が水平化されてしまうことになるのだ。二つの事象の単なる同時発生が、真に実り豊かな相関性に代わって押し出されてくるのである。そうすることによって、概念の産出性、その真の創造性も同様に見のがされてしまう。というのも、概念と経験は、たがいに競いあうことによってのみ、内に秘めた力を発揮するものだからである。(p.253-254、本文で傍点の箇所は引用文で下線を付した)


経験論と合理論をいずれもある種の還元主義として捉えている点が興味深い。
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