アヴェスターにはこう書いている?
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王柯 『多民族国家 中国』

 世界にかつて複数の古代文化があった。しかし中華文化を除けば、ほとんどの古代文化は消滅した。これらの消滅した文化に比べ、中華文化は今日もまだ旺盛な生命力をもつだけではなく、その地理的空間もかつての「中原」から、十数倍にも拡大した。つまり、中華文化は長い歴史のなかで次第に衰退したのではなく、逆にますます周辺の人々を引き込み、勢いを伸ばしてきたのであった。しかしこの基本的な事実に関して、特に中国以外において多くの研究者は完全に目をつむり、中華が夷狄に対して差別的・搾取的であると一方的に批判してきた。確かに、そのような議論は「市場」をもっているが、しかし歴史的に見れば、その議論は全く説得力をもたない。
 歴史上においてなぜ周辺の人々が数多く中華文化に引き込まれたのか。いままでの研究は、中華文化が強い影響力と求心力をもつと述べることにとどまり、なぜ強い影響力と求心力をもっているのか、という核心的な問題に答えなかった。中華文化が勢いを保ってきた理由は、歴史上において周辺の人々が次から次へと中華文化に引き込まれたことにあった。そして歴史上において周辺の人々が数多く中華文化に引き込まれた理由は、「中華文化」が結局後に「中国」地域に入ってきた異民族出身者によって作られたという性質によるものであった。(p.22)


「中華」というアイデンティティには、他者に対して排除する場合と他者を取り込む場合とがあることはよく指摘されるし、このブログでも以前、少し触れた。

上記の引用文の最初の段落の指摘(「中華文化」が他の古代文明とは違って古代から続いていること、そのことを研究者が無視していること)はなかなか面白い。

前者は「中華文化」の自己同一性が維持されていることを前提している点で疑義がある。王朝の継起と文化の継承とが混同されているフシもある。が、今はその問題は掘り下げない。

後段は「中華」のようなアイデンティティが外部から来た他者によって作られたということであり、その外部からの侵略者が中原を支配するために、その住民の中にある意味では取り込まれる必要があったために、中華アイデンティティは他者を取り込むことができるイデオロギーになった、ということらしい。

確かにそういう面はあるかも知れない。しかし、どのようなアイデンティティであっても、実は排除と取り込みの二面は必ず持つのである。その意味で、中華のアイデンティティに特有の要素というのは実はそれほど多くない。むしろ、より重要なのはイデオロギーの面ではなく、支配の体制であろう。中国では古くから大帝国が幾つもできているが、その広大な領域への支配が現実的に可能だったことが、「異民族」を取り込む必要性を生じさせ、それに合わせて支配の正当性を確保できる理論構成が考えられたのではなかろうか。




 「中華」が一つの用語として出現したのは、南北朝の時代(439-589)であった。それは、「中国」と「華夏」との複合語であり、本来「中国」という地域と同地域の農業社会を基礎に誕生した政治文化、という二つの要素を備える共同体の概念であった。(p.42)


歴史的事実としてメモしておく。




 中央政府は1950年から52年までに八つの防疫と医療チームを直接派遣したが、各地方政府もあわせると40の医療チームを少数民族地域に派遣し、「少数民族」を対象に無料で診療をおこない、51年の1年間に、内モンゴル、青海、新疆だけでも118の病院、衛生院を建設した。(p.62)


先日中国に行ってきた際、内モンゴルのフフホト(呼和浩特)の近くに住んでいる人と話をした。そのとき、ガイドブックでフフホトのページを見ながらいろいろ話したのだが、そのとき、フフホト市の地図を見ていて妙に病院が多いな、と気付いた。そのことの理由はどうやら、この中国の少数民族政策の一環なのではないか、と思い始めた。

近い将来、フフホトにも行ってくるつもりなので、その際には、この仮説を検証できたら面白いと思っている。




 帝国主義による周辺の少数民族地域への侵略は、チベットのように単に現地をみずからの影響下に入れる目的に基づくものばかりでなく、雲南のように中国内地に進出する足がかりを作るためのものもあった。しかしいずれにせよ、各帝国主義国家が競って中国に進出する近代に、周辺の少数民族地域が、中国を帝国主義の直接侵略から守る障壁や緩衝地的役割を果たしたのは確かである。(p.126)


こうした障壁や緩衝地帯となるというパターンは恐らく中国以外でも結構あったのではないだろうか。今後、注目してチェックしてみたい。



 近代国民国家の理論は、事実上民族の独立を煽り、一民族一国家という国家体制に正当性を与えるシステムである。そのため、中国の近代史上で民族が独立して自分の民族国家を建設する動きがあっても不思議なことではなかった。しかしそれと同時に指摘すべきは、その多くの場合、民族独立運動が大国政治の道具にされてきたという事実である。そして、国民国家の理論を唱えてきた欧米諸国は、事実上いずれも多民族国家のままなのである。(p.140)


独立運動だけでなく、複数の政治勢力が一国の中で争っている状況は、容易に大国の介入を許す傾向がある。また、欧米で国民国家の理論が作られたにも関わらず、そして、その理論を受け入れることを他の地域にも促してきたにもかかわらず、「一民族一国家」となっていないと批判している。

しかし、国際政治上のあるいは世界経済におけいて、その国の勢力が大きければ大きいほど、「多民族」であっても統合が維持しやすいと認識する必要があるだろう。個人レベルで見ても、それだけその国の国籍をもつことのメリットが大きくなるからであり、また、よりマクロに見ても他国からの干渉を受けにくい、干渉への抵抗力も高いからである。

さらに、ヘゲモニーを握るほど一つの国が強力になれば、そこは人種の坩堝と化す。歴史的に見て、オランダ、イギリス、アメリカのいずれも他の地域から多くの移民を受け入れて「自由」を売り物にした。デカルトがオランダに住んだのも偶然ではないし、ナチス・ドイツから多くの亡命者が出たとき、多くの知識人や著名人がイギリスやアメリカに行ったのも偶然ではない。
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