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アヴェスターにはこう書いている?
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歴史教育者協議会 編集 『シリーズ 知っておきたい中国Ⅲ 香港・マカオ・台湾』(その2)

 鄭氏政権滅亡後、「商業の時代(Age of Commerse)」が終焉し、東アジア世界が小農経済の世界に突入すると、台湾はその交易拠点としての重要性よりも、漢族社会のフロンティアとしての移住対象、また対岸の福建への穀物移出基地としての側面が強くなる。この時期には、台湾海峡を結ぶ船の行き来が活発化する。大陸から台湾に向かうジャンクには、移民が乗り、また日用品が積まれ、反対方向では穀物や樟脳が積み込まれた。この時期には台湾の北方の開発も進み始め、流域に台北盆地や茶の産地をもつ淡水河の河口に位置する淡水が注目される。
 こうした状況も、蒸気船の登場、そして日本による海運事業の展開により大きく変化する。従来、太平洋という海域の窓口になっていたのはマニラであったが、ペリーの台湾来航にみられるように、基隆付近に石炭の産地を有する台湾が新たな寄港地として注目され始めた。蒸気船に求められるのは、遠浅の海ではない。ジャンク用の港をすぐに蒸気船用に切り換えるのは困難である。ここに、太平洋と東海を結ぶエンポリア、太平洋航路の基地としての基隆の発展の素地ができあがる。基隆の発展は淡水の衰退に結びつく。淡水河中流に位置する台北に行政の中心が移っても、基隆-台北間に鉄道が敷かれてしまうと河川交通の役割は限定される。淡水衰退の原因は、一般に淡水河に土砂が堆積したことに求められるが、蒸気船の登場によって風の計算に基づく寄港地が不要になったことや、基隆が成長したこともあげられる。同様のことは南部にもおこる。高雄は、太平洋世界と南海の世界を結ぶエンポリアとして、とくに日本時代に積極的に開発され、砂糖の積み出し港として重要な役割をしめた。これにより、台南の占める位置はしだいに低下していった。
 現在、台湾政府は大陸・米・日を経済、外交の主軸に据えているが、最近東南アジアへの注目を強めている。四つの海に囲まれた台湾の地政学的位置はいまでも健在のようである。(p.146)


蒸気船の登場によって、港の盛衰が変わったというのは、19世紀頃にはよく見られた現象である。例えば、杭州から上海へのシフトなども確か蒸気船の登場と関わっていたと記憶する。台湾の中でも、「淡水→基隆」や「台南→高雄」というシフトがあったことが、ここでは指摘されている。

また、台湾については、四方を海に囲まれており、それらの海を結ぶ地政学的な位置にあることが強調されている。北には日本、西には中国、南には東南アジア諸国、東には太平洋を挟んでアメリカがある。台湾を理解するには、こうした地政学的な位置を抜きにして語ることはできないだろう。

本書が出版されたのは1996年(アジアに金融危機が起きる前)であり、当時は東南アジアへの関心を強めたようだが、最近はどうだろうか?日本から見ると東南アジアと台湾の関係は見えにくいが、中国を考える際にも、アメリカと台湾は欠かせないアクターであって、これらはひとまとめにして理解していかなければならないだろうと感じる。



 さて、日本軍による熾烈な制圧戦にもかかわらず、台湾先住民の抵抗は粘り強く続けられていた。ブヌン族のラホアレが200人あまりの仲間とともに下山して最後の帰順式をおこなったのは、1933年4月のことである。
 軍隊が撤退したあとの先住民の統治には、警務局があたり、居住地に設けられた駐在所が治安から行政、司法、教育などの一切の権限を握った。大きな権力をもつ日本人警察官は、住民から恐れられる存在だった。
 支配権を獲得した地域から、警察の管理のもとに蕃童教育所がつくられた。先住民の文化は低い劣ったものとされ、「教育」の名のもとに「日本人のまね」をすることが強制された。やがて日本語を身につけた青年たちは統治機構の末端につかされ、先住民同化の先兵となった。
 一方日本の教育では、台湾先住民は「未開・野蛮」のモデルとして位置づけられ、日本人が「開化」へ導いているのだと教えられた。その際、強調されたのが「首狩り」の習慣だった。それは子どもたちに対しいたずらに台湾先住民への恐怖と嫌悪感、蔑視感を植えつけた。
 しかし、よく考えてみれば日本人も斬首の習慣をもち、明治になっても「さらし首」がおこなわれていたのである。たび重なる戦争の際にも日本兵によって数多くの首切りがおこなわれた。しかも、台湾で日本は、支配に協力的な先住民に、反抗的な先住民の「首狩り」を奨励したりもしたのである。(p.238-239)


支配の対象にしようとする他者を「未開・野蛮」であるとして、自らの「文明」を押し付けることを正当化するやり方は、帝国主義の時代に普及した「文明」のイデオロギーの典型的な事例である。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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