アヴェスターにはこう書いている?
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池上彰 『そうだったのか!中国』(その2)

 個人が空想する分には構いませんが、中国では、空想的社会主義を実現させる実験のために、4000万人もの犠牲者が出たのです。
 日本に対して「過去を教訓にすべきだ」と「歴史問題」で追及する中国は、この過去について一切口をつぐんでいます。その事実は中国の学校の教科書に載っていません。日本に対して「歴史を直視」するように求めている中国政府は、自国の不の歴史を直視していないのです。
 過去を認められないのは、大躍進という大惨事が、毛沢東という個人の過ちにとどまらず、明らかに中国共産党の犯した過ち、いや犯罪だからです。この過去を過ちと認めることは、即ち共産党の政治的正統性が問われることでもあります。それができない共産党は、過去を教訓にすることなくフタをして、なかったことにしているのです。(p.51)


この箇所は本書のスタンスを最も集約的に表している箇所である。まず、中国共産党に対する評価としては概ね私も同意する。つまり、中国共産党は彼らの歴史にフタをしており、そこには大きな過ちがあるということだ。

ただ、中国共産党の支配の政治的正統性がないかどうかは、別問題だろう。そうした過去の過ちを中国の人民が知っても、共産党の支配を許容するならば、少なくとも「支配の正当性」は確保されることになる。昨今のような経済成長が続く中であれば、それは十分可能だと私は考える。むしろ、中国が一人っ子政策の弊害による少子高齢化の時代を迎え、今の日本と似た状態になってから、今の日本のように「歴史問題」が急に持ち上がると、共産党は持たない可能性があると見ている。

正統性の問題はさておき、池上氏は、中国共産党が自らの歴史を隠蔽していることをもって、中国共産党には日本政府に対して歴史問題を持ち出す資格がないかのような論調で述べている。しかし、そうしたやり方をしているのだとすれば、それは間違っている。

なぜならば、例えば大躍進政策や文化大革命は、中国国内の政治問題であって、特段日本の政府や人々に多大な損害や迷惑を与えたわけではないのに対して、日本政府と日本軍による中国侵略に伴う諸問題(従軍慰安婦問題や南京事件など)は、中国の政府や人民に多大な苦痛と損害を与えたと言うことができるからである。

いうなれば、道を歩いていて勝手に転んで怪我をしたのと、人に殴られて怪我をしたことの違いのようなものだ。勝手に転んでもそれは自分が悪いのであって、人にとやかく言われる筋合いはないと言えるが、人を殴ったのに反省の色を見せない場合、殴られた側から「反省しろ」と言われるのは仕方ないことだからだ。日本政府や日本の右派の側こそが、中国側(共産党、政府、人民)につけいられる隙を作っているのだということを自覚したほうがいい。その自覚がないままに、自国の歴史を棚に上げて、他国の歴史をあげつらうのは不当である。

むしろ、池上氏のような主張をするならば、日本の側が中国などからつけいれられる隙がないように、(謝罪は既にしたので)個人に対する補償を明確に宣言して行うべきであろう。そのことをはっきり言わずに、自分を棚に上げて他人を非難することで、自分への非難をかわそうとするようなやり方は、そういうやり方をすることが都合の良い人たち以外には、広範な支持を得られないだろう。



五族共和という用語についての説明。

清朝末期に生まれ、孫文によって広められた標語。のちに孫文は、五族共和を否定し、中華民族への一元的同化を主張するようになる。(p.82)


ナショナリズムの運動における一般的なパターンがここでも見られる。

ここには複数の「民族」を取り込んで一つの「国民」を形成していく拡張的な過程における「多元的な民族観」を打ち出すナショナリズム言説と、一応その過程がひと段落つき、これ以上拡張することが難しくなると「国民」の一体性を強調するために「一元的な民族観」を前面に出したナショナリズム言説を見出すことができる。日本も第二次大戦前は前者の「多元的民族観」が強かったが、大戦後は完全に後者が支配的となった。後者のナショナリズムが支配的なときに外部との軋轢が高まると排他的な傾向が強まるので危険である。前者の拡張は比較的順調な場合に支持される傾向があると思われるので、やっていることは侵略であっても、軋轢は少ないと思われる。

なお、よく「中華思想」などと言われるが、「中華」も上記のナショナリズムとほぼ同じ二つの側面を持つ。礼を受け入れれば中華であるという考えは、前者の民族観に基づく「中華」概念であるが、現代の「国民国家」が常識化しているなかでは、後者のタイプの民族観に基づく「中華」概念が常識化するものと思われる。




 さらに毛沢東は、「もし核兵器が実際に使われたとしても、我が国の人口は六億人だから、核戦争でたとえ半分の三億人が死んでも、まだ三億人残るから、人口はすぐ回復する」と言ってのけたのです。(p.113)


イカレた発言だが、核戦争の際には、この考え方からして中国は非常に有利な立場にあるという意味では全く正しい。これに対し、日本は世界の他の国々と比べると比較的人口は多いが、人口が密集しているので、核兵器には滅法弱いということを日本の人々は知っておくべきだろう。

また、今の日本の保守的な人々の中には、「100人のうち90人が助かるためなら10人が死ぬのも仕方ない」という類の言説を容認する人がいるようだが、そういう人は自分が毛沢東と同類だということも知っておくべきだろう。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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【2013/07/08 15:32】 | # [ 編集]


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