アヴェスターにはこう書いている?
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丸川知雄 『現代中国の産業 勃興する中国企業の強さと脆さ』(その1)

「垂直分裂」とは、経営学や経済学でいう垂直統合の逆の現象が起きていることを指す。すなわち、従来一つの企業のなかで垂直統合されていたいろいろな工程ないし機能が、複数の企業によって別々に担われるようになることをいう。(p.14)


本書のキーワードについての定義。



 日本のテレビメーカーは、他社のテレビとの画質の違いを製品差別化のポイントと考えているので、一つの型番にいろいろな画質のものが混じることを許容しないが、中国メーカーはどれも大差ないと考える。それよりも、複数のブラウン管メーカーを競争させることのメリットのほうを重く見るのである。製品差別化を競争力の源にしようと考える日本メーカーと、価格競争力を重視する中国メーカーとの違いがここに現れていると言えよう。(p.40)


品質を重く見るか価格を重く見るかという、価値観の違いだけでなく、双方の企業の構造自体がこれらに対応したものになっている(日本メーカーは品質向上に適した構造になっており、中国メーカーは価格競争に適した構造になっている)ことを本書は解き明かしていく。



 ビデオCDもPHSも、日本で生まれた技術の種子が、日本の土壌ではあまり育たなかったのが、中国の土壌に植えられるや大きな収穫の果実を結んだ。中国の技術発展は、単に先進国で開発された技術を何年遅れかで摂取するプロセスではなく、先進国では実を結ばなかった脇道の技術も成長することで技術の多様性が増大するプロセスであった。後発国の技術発展に関する既存の理論は脇道のイノベーションを見落としていたが、中国の経験はイノベーションが本来有している多様性の増大という側面を思い起こさせてくれる。(p.99)


このビデオCDやPHSの事例が本書で展開されていたのだが、確かにかつて中国や台湾などに行ったときに、ビデオCD(VCD)がかなり出回っていことに違和感を感じたことがあった。そのあたりの仕組みを本書はよく説明していた。説明は長くなるので省く。



 以上のように、波導は携帯電話機の技術や生産の重要部分に対してサジェムなど外国メーカーの力を借りている。こうした状況は波導に限らず、1999年以降台頭してきた中国の携帯電話機メーカーすべてに共通している。それは、技術や生産の核心部分は社内で担うべきものとの考え方が強い日本の電機メーカーとはまったく正反対の考え方である。
 ・・・(中略)・・・。技術力に勝る外国メーカーを相手にしながらも、複数の外国メーカーを天秤にかけることで、欲しい技術を引き出そうとするのが中国流なのである。(p.115)


この複数のメーカーを天秤にかけるということによって、中国メーカーは日本メーカー以上に「市場経済的」である。このことは次のような指摘からも見て取ることができる。

 総じて言えば、日本の携帯電話機は少数の機種を計画的に産んで計画的に淘汰していく「少産少死」型の機種開発が行われているのに対して、中国は数多く産んで自然淘汰に任せる「多産多死」型の開発が行われているのである。(p.119)

 中国のある代表的な設計会社での開発のプロセスを図表3-4に示した。開発期間は日本の半分以下と短く、なかでも企画の期間がわずか一ヶ月で、半年近くにもおよぶ日本とは大きく異なる。それは、日本メーカーは通信事業者が今後展開する新サービスを睨んで、それに対応できる携帯電話機を開発するのに対し、中国の携帯電話機開発とは、さまざまな基幹部品に体化された機能を組み合わせることと、外観のデザインにほぼ尽きるからである。(p.121)


携帯電話産業については非常に顕著なのだが、「日本は計画経済、中国は市場経済」という対比が非常にはっきりしている。日本の製品は異常に高価で、私達が購入する際に1~2万円程度でも、実際は5万円以上する代物である。その分の差額が通話料に上乗せされることで、日本の消費者は見えない形で高い料金を払わされているわけだ。計画経済は「消費者に優しくない」のだが、それをうまく隠蔽しながら運営しているわけだ。

しかし、計画経済も全面的に劣っているわけではなく、高度な技術を集中させて、今までになかったものを開発しながら進んでいくにはそれなりの力を発揮している。日本の携帯電話機の技術水準は恐らく世界一だろうが、それもこうした計画経済の体制に支えられている部分がある。(消費者に優しくないことによって)企業側は研究開発に金をかけられるからだ。

私は経済思想的には、新自由主義を批判するケインジアンであって、マルキストではないのだが、日本では非常に悪いイメージで捉えられる「計画経済」が日本に存在しており、それが負の側面だけでなく、評価の仕方によっては正の側面をも持っていること、それが非常に身近な製品にも見られることが具体的にわかったのは、本書を読んでいて大変面白かったところだ。

(もちろん、本書では計画経済という言葉は使っていないし、昔の中国やソ連がやろうとしていた「計画経済」と私がここで使っている計画経済とは完全に同じではない。一国の政府が主体となって、国内の産業を横断して行うか、そうでなく寡占企業が主体となってその業界内部で行うかという違いはあるが、基本的な要素は同じである。例えば、計画的に決めた製品を計画的に作って高く売ることや、この過程でも実は市場がまったく機能しないわけではないことなど。)



 通信事業者が買い上げた携帯電話機は最終的にはユーザーが買い取る。つまり、日本の携帯電話ユーザーが高い通話料を払うことによって携帯電話機メーカーが最先端のものを開発することを可能にし、その開発成果は部品メーカーを通じて世界にスピルオーバーする。まさしく第2章で見たヴァーノンの理論の言うとおり、「ケータイ最先進国」日本の消費者は導入期の製品を買うことによって世界の携帯電話産業を育てているのである。日本のユーザーが高価だが高性能な携帯電話機に満足しているかぎりそれで何の問題もないのだが――。(p.128)


早晩、このビジネスモデルは転換を余儀なくされると思われる。世界の中に占める日本の人々の経済的な豊かさは、私が見るかぎりでは、みるみる低下しているからである。

どのくらい上乗せされているかは次の箇所からある程度推測できるだろう。

 たとえばある携帯電話小売店の業績報告書によれば、その店(併売店)で消費者が支払う額は一台あたり7800円なのに対して、通信業者からは一台あたり4万6700円の販売手数料が支払われている。つまり、消費者は7800円だけ出して、実際には5万4500円の携帯電話機を買っているのである。通信業者が補助した販売手数料は、消費者が月々支払う通話料金のなかから回収されることは言うまでもない。(p.138)


通話料が異様に高いのも頷ける話だ。
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