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アヴェスターにはこう書いている?
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青木紀 編著 『現代日本の「見えない」貧困 生活保護受給母子世帯の現実』
小西祐馬 「第2章 貧困と子ども」 より

 以上見てきたが、この若者たちが具体的な将来を客観的な可能性を持って描くためには、非常に多くの困難がある。このことは、彼・彼女たちの持つ選択肢の少なさが関係している。経済的な問題や学力・学歴によって、選び取れる将来は相対的に狭くなり、目標を見つけること、そしてそれを実現するには多くの困難が横たわっている。こうして、将来が見えにくくなった結果、目の前の利益に気を取られ、「とりあえず」の未来を選択してしまい、より不安定な生活に入っていくことも危惧される。また、全員が高校卒業後にひとり暮らしをしたいと語ったが、このような状態でひとり暮らしを始めてしまうことは、生活が一層不安定化する契機になりうるとも考えられよう。(p.105)


本書のテーマとして「貧困の世代的再生産」というのがあるのだが、ここではそれを当事者の認識を「追体験的に理解」させていると思う。

「実感を伴った将来の選択肢」が少ないために、実際に心が惹かれるような目標をあきらめることを強制される。このため、彼らは心が惹かれない選択肢の中でしか選択ができず、場当たり的に行動するようになるというわけだ。

親の所得が低いことで子供は学力と学歴が低く抑えられてしまい、それによって子は選択肢が減り、場当たり的な選択が増え、それを続けることで不安定な状態が定着してしまうという構図。

私自身が「親の所得によって選択肢が狭まった」という実感があるので、非常に共感できるところがある。もちろん、本書の事例となっている人たちと比べれば、はるかに恵まれた選択であったことは間違いないのだが。



 本章では、生活保護世帯を含む低所得世帯の子どもの状態を、子どもへの聞き取り調査を中心にして、明らかにしようと試みた。その中で第一に、子どもたちにとって、やはり家庭が低所得であるということは、直接的に悩みの原因となっていた。所得が低いということによって、さまざまなところで耐え忍ぶことを要求され、中には、通学のためのバス代を要求することができず、それを補うために援助交際を行っていた事例があった(Dさん)。この前後には母親との確執があり、お金がないことが問題を生み、その問題がまた問題を生むといった悪循環が見られた。(p.105)


このような状態から抜け出すためには、相当強力な社会的バックアップが必要であることは言うまでもない。しかし、日本の社会保障はそれを可能にするにはあまりにも貧弱ではないか。



杉村宏 「第6章 貧困家族の自立支援とケースワーカー」 より

 生活保護にたずさわる公的扶助のケースワーカーは、「家族依存」の性格を強めている現代の社会福祉・社会保障政策のもとで、「保護依存」と非難され勝ちな生活保護の利用者にかかわるという、まことに矛盾に満ちた現実のなかで、貧困家族の自立支援を行っている。
 多くのケースワーカーは、「保護依存」からの脱却という政策的圧力のもとで、就労可能年齢層(義務教育修了年齢から65歳まで)の人々への就労指導と、就労が不可能な人々の親族に対する扶養義務調査に追いまくられている。一刻も早い生活保護の廃止が至上命令になっていて、たとえば北九州の生活保護についてレポートした新聞報道によると、生活保護を申請した60歳の男性は、「九月に保護を認められると同時に、書類に『十二月をもって生活保護を辞退します』と書くよう」職員に強要されたという。
 「保護依存」イデオロギーが生活保護行政を覆っており、その克服なしに「家族依存」の福祉政策の転換も、貧困の世代的再生産を緩和・解決する手がかりも生まれてこないし、公的扶助ケースワーカーの自立支援の展望も描けない。(p.191-192)


「家族依存」というのは、社会政策によって制度的に保護することをあまりせずに、困っている人がいる場合、その人の家族がその面倒を見るべきだという考え方である。

一見、それほど不自然には感じないかもしれない。しかし、生活保護受給者等の現実を見れば、極めて不自然で無理がある思想だということがわかる。ほんの少しだけ不都合があり、一時的に援助すれば足りるようなことであれば、もちろん、家族がある程度援助するのは自然なことである。なぜなら、家族は本人に心理的・物理的に近くにいることが多いから。しかし、生活保護受給者くらいになるとそれを支える心理的・物理的(身体的)・経済的な負担は極めて重く、到底、僅かな人数ではそれを背負いきれない。(それに、家族自身も貧しいケースが多い。)

極力、社会的な援助・保護を切り詰めようとする点において、新自由主義と伝統主義的な国家主義(彼らの多くは伝統的な家族や地域の中でのつながりを重視する)が相互に補い合うのである。

「保護依存」というのは、保護を受けると働かなくなる、という一見もっともらしいが、実際には実証されていないイデオロギー的偏見である。新自由主義ないし市場競争の信奉者たちは、「人々を保護しないことによって、彼らは必死になってそこから抜け出そうとする」という類のことを言う。現実を全く見ずに勝手な仮定を置いて語る机上の空論である。

簡単に言えば、人間には怠けようとする性向と何か人々の役に立つことをしようという両方の性向が同時に存在していると考えることができるのだが、これらの人々は前者の側しか見ていないし、それしか前提していないのである。




青木デボラ 「第7章 アメリカの貧困家族と自立支援の現実」 より

最近出された2003年1月22日の消費者財政に関する連邦準備制度理事会(The Federal Reserve Board's Survey of Consumer Finances)の調査報告では、様々なグループにおける1998年から2001年の期間の資産と所得が比較されている。この報告によれば、所得レベルが上位10%にあたる人々の資産は、ほかのどのグループの資産よりも急激に増加している。具体的にいうと、この上位10%グループの一世帯あたりの純資産は83万3600ドルで、1998年の49万2400ドルと比べると69%も増加していた。それにひきかえ、所得が下位五分の一グループの一世帯あたりの純資産増加は24%にとどまり、7900ドルという微々たる額だった。
 付け加えていえば、所得レベルが上位にある一世帯(中央値にあたる)の蓄積された資産は、1990年代においては中位・下位グループの中央値の12倍程度だったが、2001年には、それは所得下位世帯の中央値の約22倍にはね上がっている(Survey of Consumer Finances, 2003)。(p.212-213)


上位所得者にとって有利な世界になっているという傾向は「グローバル化」が進んでいった90年代以降の世界的なものである。金融自由化によって、資産を持つ者=資本を持つ者のチャンスは一挙に広がり、投機的なマネーの世界と実体経済の世界のリンクが弱くなったために(彼らが弱体化させたのだが)、低所得層にはあまり恩恵が行かない構造になってしまった。この状況を打開するには、何をおいても、金融が国境をこえて自由化された状況に対する対処が必要である。

その上でこそ社会政策は十全な意味を持ちうるし、導入も可能になると思われる。



 福祉プログラムの歴史的基礎は、離別・死別・未婚のいかんにかかわらず、母子世帯で育つ子どもの経済的安全の提供を求めてきたことにあったと近年では論じられてきたが(Weisner, Gibson, Lowe, and Romich, 2002)、実際にそれが実現したことはない。1900年代に年金を受給していた「福祉受給に値する」未亡人の場合でさえ、ジェンダーと文化の規範に必ず従うよう、公的関係者たちによって強いプレッシャーをかけられていた。関係機関の調査員は、母親たちに対して、飲酒の吐息、不潔な家庭、男性との関係、浪費や不適切な養育の習慣などを厳しく監視していた(Abramovitz,2000)。そのため、福祉は、福祉受給者の行動、道徳、価値観をコントロールし、服従の度合いに基づいて報酬や懲罰を与えるためのプログラムであり、つねにイデオロギーや実践、あるいは履行操作の中におかれてきた。(p.223)


恐らくこれは、アメリカだけでなく、日本にも当てはまるだろう。



新保守主義のモデルは、男性が稼得役割を負うという幻想を、実質をともなうことなく与えているに過ぎない。(p.224)


妥当な指摘。日本の場合、新保守主義と重なる形で存在する民族主義的ないし伝統主義的な「国家主義」的なタイプの保守主義にこの考えが強いように思われる。日本の新保守主義は防衛問題に特化する傾向があるというのが私の見立てであって、これらの勢力を区別している。これらの分類については機会を見てメインブログか日記編のブログで書こうと思っている。(半年くらい前からそう思っていた。)



 非熟練労働者の賃金の減少は、よく知られている1990年代の現実だが、それは未曾有の富の蓄積と特権化に並行して起こってきた。ワシントン経済政策研究所(Washington-based Economic Policy Institute)が1998年に報告したように、労働力の30%は一時間あたり八ドル以下の賃金しか得ていない。ほとんどの労働者の実質賃金はこの20年間で急落しており、下位10%の人々の賃金はさらに急速に減っている。最低賃金は1996年より上昇しているが、それでも実際の最低賃金の価値がピークにあった1968年と比べると30%も減少しているのである(Piven, 2001)。
 そのため実際には、低所得世帯の女性たちは、完全に男性の経済的力に頼って生きることはできないでいる。そして福祉改革以来、彼女たちは国にも頼ることができなくなった。このため女性は第一に、低賃金で退屈な、先の見えない仕事に就くことを余儀なくされている。そのような仕事で「エンパワーしている」といわれながら、である。第二に、女性たちは、結婚してふたり親家庭を維持することを強く求められている。そこでは、福祉(プログラム)と労働が二つのイデオロギー装置、すなわち家族倫理と労働倫理を通じて、時には競合しながら、歴史的に結びつけられてきたことを主張しているフェミニスト理論と強く反響しあっている(Coffield, 2001; Piven 2001)。この場合、家族イデオロギーは福祉改革を通じて、新家父長主義と安価で従順な労働力を提供する兼任的役割の両方において、女性をしっかりコントロールするのに効果的に機能する。(p.225)


低所得の労働が広く行われ、福祉改革(実際には福祉の削減政策)が行われると、女性には一人で自立して働いていくという選択肢がなくなる。社会的な福祉ではなく、家族の中で助け合うべきだとされることによって、多くの女性が選択肢を狭められていることを指摘している。

これもアメリカの事例だが日本もほぼ同じだろう。



シカゴの連邦準備銀行(Federal Reserve Bank of Chicago)の経済学者、Bhash Mazumderは最近、ある二人の間における収入ギャップの、平均して60%以上が、ある代から次の代へと継承されると計算した。つまり、富は何世代にもわたって続き、また貧困も同様に世代を越えて続き、アメリカにおけるチャンスと機会の平等神話を一掃している。(p.235)



こうした研究はもっと盛んにやってもらいものだ。
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