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アヴェスターにはこう書いている?
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田岡俊次 『2時間でわかる 図解 日本を囲む軍事力の構図 北朝鮮、中国、その脅威の実態。アメリカの軍事覇権の将来は?』(その2)

 日本としては、第一の当事者は韓国であることを念頭に置いて、北朝鮮に対応していくべきだろう。韓国が、北朝鮮の崩壊が自国の経済的破局につながることを警戒し、北朝鮮に経済援助をして体制は温存する代わりに、核開発をやめさせようとするのが合理的である以上、日本は、時に手法や順序で意見が違っても、基本路線では同一歩調をとるしか方法はないだろう。北朝鮮に残る拉致被害者とその家族の問題も、その過程の中で解決へ向かうはずで、ただただ北朝鮮を非難、排斥し対立を深めても、拉致問題が解決するとは考えにくい。(p.112)


概ね同意見である。日本では、報道のされ方などの問題もあるが、他国の視点に立った考察や、国を超えた枠組みから考察をするという習慣が全くというほど確立していない。極めて一面的で感情的かつ目的非合理な意見がしばしば見られる。

国単位でものを考える際にも、実際には「国のイメージ」を相手にしていながら、そのイメージを「国である」と実体化した上(「中国は●●な国(一党独裁国家、共産主義、人権抑圧国家等々)だ」とか「北朝鮮は●●な国だ」という本質主義的で「根本的属性認識錯誤」に基づく見解)で、かつ、それに無自覚な状態で言論を撒き散らす(だから自分の意見を信じ込んでおり、手に負えない)ということが往々にして見られる。

正直に言って、一般庶民がこの人間が陥りやすい錯誤を回避することはかなり困難だと思う。情報を流す側も政治的な問題に関しては、政治家という「国家主義」の発想からは立場上逃れられない人々と結びついた状態で流されるがゆえに、元のソースが「国家主義」の刻印を持つこととなり、それを脱構築なり再構築なりして報道することは困難だろう。そうした作業が介入することで理論化傾向が上がるので、新聞やニュースには適さないからであり、また、日々の仕事に追われるジャーナリストが毎回そうした知的作業を介在させることも限界があるからである。時間性からいって複層的なメディアが展開する(中長期的な視点からの時事評論も併在する)ことで、この難点は多少なりとも回避できるが、それでも時間性が長期になるほど知的に高い階層にしか届かないだろう。しかし、高い階層から情報が流れることが多い以上、無意味ではない。

つまり、ジャーナリスティックではなく、速報性をそれほど重視しないタイプの報道で、国家主義の刻印を超えるようなものが出てくる必要がある。しかし、テレビなどは財界(スポンサー)の意向が反映されることになるので、そうしたことも容易ではなかろう。簡単な解決策がない中でどうすべきかが問題となるが、やはりまずは学問的な世界でこうした誤った常識を覆し、知的世界から情報を発信していくことが望まれる。(すでにかなりやっていると思うが、文学系の「比較的いい加減な世界」から右派の論客が出ているので、歴史学や社会学などのもう少し事実との関係性の高い学問分野から、そうした分野への批判もあってよいのではないか。もう一つは経済学や財政学だが、それについては今回はふれない。)

もう一つは、他の国ぐにに行き、情報統制と民衆の係わり合いを見てきた経験から言えることは、その国に住む人が自国のメディアで報道されている内容にどのような偏向があるかについて、知識を持っており、それに対する自覚の程度が高ければ高いほど、メディアを批判的に読み解き、また、より幅広くより精度の高い情報や知識を求める傾向があるように思われる。その意味で、日本の場合にも、大して報道の自由度が高くないことやその理由についてよく知られる必要があると思われる。




 1980年代のアメリカは、対ソ連戦略上の「チャイナカード」と称して、中国の軍事力の近代化に協力した。(p.118)


中国の軍事力増強に対して批判・懸念する人々は、こうしたところからも批判すべきだろう。日本に跋扈するそうした言説が表面的で場当たり的なのには辟易する。




 日本人は冷たい国際政治の感覚に弱く、好き嫌いやイデオロギーで考え、外国を好きになったり信用したりしがちだ。(p.121)



その通りである。ただ、外国の人々も庶民は大抵そうである。国際政治の感覚が鋭いエリート層がどれだけいるかが重要なのではなかろうか。国際政治なんて、普段の生活では直接感得されないことなのだから、一般庶民にそこまで求めることは難しいだろう。

ブログのような庶民の言論の場でイデオロギー色が強いことも、こうした傾向の反映だと思われる。これは右派だけでなく左派にも言えるが、現在の社会における事実との整合性を考える限り、左派系のイデオロギーの方が事実に近く、解決の方策にも適合的であるとは言える。ただ、その場合でも、できる限りイデオロギー的であることを自覚することは重要であり、それを促していく必要はあるだろう。



 かつての日本では日英同盟(1902~21年)が絶対視された。当時の外務省は、「日英同盟は日本外交の“骨髄”である」と言っていた。いまは「日米同盟は日本外交の“根幹”である」と言う。動物が植物に替わっただけだ。
 結局、日英同盟はイギリスから打ち切られた。ロシア革命(1917年)と第一次世界大戦(1914~18年)によって、当面ロシアとドイツの脅威が消えると、同盟の必要はなくなり、アメリカは日露戦争後、日本に対する警戒意識を高めつつあったので、イギリスが日本とアメリカのどちらをとるかを迫られれば、日英同盟を更新しないのは当然だった。
 日本は次にドイツを信用して裏切られた。日独防共協定(1936年締結)を強化し、日独伊の三国同盟にするドイツの提案に日本が乗ろうとしたとき、ヒトラーが突然ソ連のスターリンと独ソ不可侵条約を結び(1939年)、日本の時の首相・平沼騏一郎(現、平沼赳夫経済産業大臣の義父)は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じ」と言って政権を投げ出してしまった。思想検事出身の平沼には、ナチスと共産主義者がイデオロギーの違いをこえて手を結ぶことは理解できなかったのだろう。だが、現実の国際政治は“利害の打算”で動くのであり、その観点から見ればポーランドの分割などでドイツとソ連の利害が一致し、不可侵条約を結んだことは少しも複雑怪奇ではなく、むしろわかりやすいことだった。(p.121-122)



日米同盟至上主義者や中国を共産主義・一党独裁などとして非難・排斥する人々は、こうした歴史的事実を重く見るべきだろう。日米同盟が米中関係を深めるのに邪魔だと思えば、将来的に破棄されることもありうる。中国と敵対関係を続けることは、将来的にはアメリカとの関係にも楔を入れる可能性がある。

両者から適度な距離を保ちながら、多国間関係の枠組みを構築することが基本的な路線とすべきだろう。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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