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アヴェスターにはこう書いている?
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豊下楢彦 『集団的自衛権とは何か』(その2)

さしあたり指摘できることは、クリントン政権の時代に「ならず者国家」と言われる概念が“登場”して以来の経緯をみるならば、これら諸国の最大の問題関心は「体制の生き残り」であって、自爆テロも辞さないテロ組織とは、その行動様式を根本的に異にしている、ということである。(p.46)



「敵」の脅威を意思と能力という二つの側面から見た場合に、「土着的テロリズム」とは違い、「失う国」を持たないアルカイダのようなテロリストにあっては破壊活動を展開することが自己目的であり、その意味で意思についてはきわめて明確である。従って、破壊の手段さえ獲得できるならば、自滅をも覚悟して直ちに攻撃にうって出るのである。要するにここでは、いかに大きな破壊力をもった軍事的能力を獲得できるかが決定的な問題なのである。
 これに対し主権国家の場合は、いかに「ならず者国家」とか「悪の枢軸」といったレッテルを貼られた国家であっても、テロリストとは違い、最重要の課題は「体制の生き残り」にある。従って、獲得される軍事的能力はあくまで、「体制の生き残り」のための手段なのである。北朝鮮がミサイル開発や核開発について、常に「自衛の手段」と主張していることは、過激なレトリックは別として、事の本質を示しているのである。とすれば、北朝鮮のミサイル攻撃の可能性が議論される場合には、いかなる意思に基づいたものであるかが、「体制の生き残り」という課題との関係で突き詰められる必要があろう。(p.205-206)



非合理であり、何をするか、いつ暴走するかわからない、という誤解へと誤導されがちな「ならず者国家」について、その政権の関心が「体制の生き残り」にあるという端的な指摘は全く妥当なものであり、かつ、きわめて重要な認識であるといえる。同時に、そうした曲がりなりにも「国家」と呼ばれる政治主体とアルカイダなどのテロ組織では行動原理が異なっているという指摘も重要である。

この認識は本書を通して何度も繰り返し出てくる。「ならず者国家」や「テロ支援国家」などと言われるものと、アルカイダなどの「テロ組織」とは、異なった目的を持ち、異なった行動原理に基づいて活動しているので、それらに対する対応の仕方も異なるはずなのに、それらが混同されていることに対して本書は繰り返し批判しているのだが、この認識が広く世論に共有されることは重要であろう。




 つまり、サマワで自衛隊を守っている外国軍(英豪軍)が攻撃され時に、集団的自衛権を行使できないがために自衛隊は事態を“傍観”しているといったことが果たして許されるのか、という議論である。しかし、ここには大きな“落とし穴”がある。なぜなら、イラク特措法案の提出にあたっては、「非戦闘地域」に派遣される自衛隊が外国軍に守られるであろうといった事態については、具体的な説明も議論も全くなされなかったからである。仮に継続的かつ長期的に外国軍によって防衛されねばならないような地域であれば、直ちに自衛隊を撤収させるのが同法の基本的な趣旨のはずであった。現地における“既成事実”を背景に、根拠法を“飛び越えた”ところで議論が展開されることの重大な危険性が、改めて指摘されねばならない。(p.101-102)



そのとおりだ。




 バルマー=トーマスは結論として、「根本的な誤りは、英国が払った軍事、政治、財政的な犠牲にもかかわらず、ブッシュ政権に対していかなる重要な意味においても影響力を行使できなかったことである」と断じた。つまり、欧米の関係改善でも、中東和平問題でも、イラク戦争の展開それ自体についても何ら影響力を発揮できなかった、というのである(Victor Bulmer-Thomas, "Blair's Foreign Policy and its Possible Successor(s)", Chatham House, December 2006)。いみじくもラムズフェルドが指摘したように、「イギリス抜き」でも戦争を遂行できるとの確信にたっていたブッシュ政権の路線を、「軍事貢献」によって修正させるといったことは、そもそも無理な相談であった。
 先に見たように安倍首相は、日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、米国に対して発言権を確保でき、日米関係は「圧倒的に対等」になるとの“期待”を抱いているようである。しかし、ブレア外交の顛末を見るとき、それが“幻想”以外の何ものでもないことは明らかであろう。イラク戦争における英軍の死者は150人を数えた。日本が「軍事貢献」によってブッシュ政権に発言権を確保するためには、この何倍の戦死者が必要なのであろうか。(p.111、本文の傍点は下線に変換してある。)



安倍のような幻想を抱く人間は、ネットで政治を論じる連中の中には結構いるが、まともな判断力を欠いているとしか言いようがない。

他国に影響力を与えられるかどうかは、政治的なコンテクストによって決まる。軍事力によって援助することが、相手国の存亡にかかわるような場面ならば、安倍のような議論も成り立つだろう。しかし、相手はアメリカである。アメリカ政府が存亡の危機に立つという状況は軍事的な場面においては当面ありえない。例えば、相手が弱小国であり、かつその国に敵対する国が多く、さらに、その国に対して差し迫った軍事的危機が存在するような場合ならば、安倍のような議論も成り立つが、日米同盟はそうした場面とはほとんど無縁である。

アメリカに対して影響力を行使したければ、別の領域でアメリカの困難に対処できる点はないかを模索することである。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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