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アヴェスターにはこう書いている?
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豊下楢彦 『集団的自衛権とは何か』(その1)

 そもそも集団的自衛権の問題は、武力行使の領域にかかわる、すぐれて軍事レベルの問題である。だからこそ、日本の“頭越し”に北朝鮮が米国にミサイル攻撃をかけるという軍事的「最悪シナリオ」も想定されるのである。しかしそこでは、何のために北朝鮮が米国を攻撃するのか、という政治レベルの根本的な問題は一切問われることはない。従って当然のことながら、日本の“頭越し”に北朝鮮と米国が和解するという政治的「最悪シナリオ」が進行する場合には、ただ狼狽する以外にはないのである。このように、憲法九条をめぐっては、政治外交戦略ではなく、集団的自衛権の問題だけが、“突出”して議論されている。その結果、「米国に向かうミサイルを日本が撃ち落さないのはクレージーだ」(ローレス米国防副次官)という米国の“恫喝”をうけて憲法を改正することが、「自主憲法」の制定であり、米国によって「押し付けられた」憲法からの脱却であるという、アクロバットのような捻じれた論理に至るのである。(p.)



日本でありがちな議論を的確に描出している。政治レベルの問題は不問に付され、それをごまかす為に「ならず者国家」の非合理性が捏造されるワケだ。

私もこの点について問題だと考えていたので、以前、メインブログの「武力万能主義を超えて」というエントリー「武力だけで問題解決できるのか?」という問いかけを繰り返し発することで、「既に攻撃された場面」しか想定しない「9条改憲派≒集団的自衛権行使論者」を、上記の引用文で言うところの「政治レベル」の場面に引き出すべきだと提案したことがある。




1972年10月14日、政府(田中角栄内閣)は参議院決算委員会に対し、社会党の水口宏之議員によるかねてからの質問に応える形で、集団的自衛権に関する政府見解として、以下のような「資料」を提出した。
 ・・・(中略)・・・
 これが集団的自衛権について、いわゆる「国際法上保有、憲法上行使不可」という、今日にまで至る政府解釈の「原点」なのである。当時、水口が集団的自衛権に関する政府解釈を執拗に追及した背景には、1969年11月の佐藤・ニクソン共同声明において「韓国・台湾条項」が導入されたことが挙げられる。1964年以来、米国は当時の南ベトナム政府の「要請」により集団的自衛権を行使するとの口実でベトナム戦争に突入していったが、事態が泥沼化するなかで、韓国やオーストラリアなどに派兵を求めていたのである。
 右の共同声明は、韓国・台湾有事に際して米国が自衛隊に軍事的協力を求めてくるのではないか、という危惧を高めるものであった。ベトナム戦争の泥沼化に加えて、集団的自衛権がきわめてダーティなイメージを国民世論に与えている状況において、政府としても第九条を前面に掲げて集団的自衛権の行使を明確に否定する必要があったのである。ちなみに、韓国は集団的自衛権を行使して南ベトナムに32万人をこえる兵力を派遣し、五千人以上の戦死者を出した。(p.5-7)



集団的自衛権という口実がどのように使われたかということについての事例。戦端を開く口実として使われ、さらに、「援軍」を増やすことで、「戦闘すなわち被害」を拡大させたのである。




以下は、2004年3月3日の参議院の憲法調査会における、京大教授で国際法学者の浅田雅彦参考人の答弁の引用である。

「権利を保持するということとそれから権利を行使するということ、権利を保持する能力と権利を行使する能力というのを峻別するというのは、法律学でいえばもう言わば常識でありまして、(中略)国際法においてもこれは同様であろうというふうに思います」「具体的な例を申し上げますと、……例えば永世中立という考え方があります。これは、主権国家であれば他国と同盟を結ぶということは権利として当然認められておるわけですけれども、しかしながら永世中立国は、自らは他国と同盟を結ばないという選択を行って、永世中立という制度はそれを自己に義務付けたわけであります」(p.11、下線は本文では傍点だった)



日本の憲法九条や「集団的自衛権は保持するが行使できない」という考えもこれと同じである。

安倍は「権利があっても行使できない」という状況を「禁治産者」にたとえたが、これでいけば、同盟する権利を保持しながら永世中立を堅持するスイスなどの国は、さしずめ「禁治産者の国家」ということになるであろう。(p.12-13)



永世中立という制度の事例はわかりやすいので、上記のレトリックと論理は、安倍的な屁理屈に対して何となく違和感を感じているような「普通の人」(政治に特段の関心があるわけではない人)に説明する際に使えるだろう。




 次いで、個別的自衛権に関する三要件、つまり「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきこと」を再確認したうえで、集団的自衛権をめぐる政府解釈の核心について次のように説明した。

「お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません

(p.14-15、下線は本文では傍点)



これも安倍晋三らの集団的自衛権行使容認の根拠を否定するもの。

自衛権を行使する際に日本政府は、満たすべき3つの要件を課しており、集団的自衛権はその条件を満たさないために「必要最小限度を超える」と言われ、行使できないわけだ。
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