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アヴェスターにはこう書いている?
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鶴間和幸 『世界史リブレット6 秦漢帝国へのアプローチ』

不思議なことに司馬遷の記述以外の情報をえることができると、司馬遷の文章のなかにも今までみえなかった世界が浮かびあがってきたのである。秦帝国の形成史の文章には多くの伝説が収録されているが、そこに東方の地の人々の反秦感情の叫びが聞こえてきた。それは国家ではなく地域に生きた古代の人びとの意識といえるものであった。(p.23)

こうした認識の理論枠の変化は歴史に限らずしばしばある。


「司馬遷の記述以外の情報をえることができると、司馬遷の文章のなかにも今までみえなかった世界が浮かびあがってきた」というのは、「自民党(テレビ)から流される情報以外の情報をえることができると、自民党(テレビ)から流される情報のなかにも今までみえなかった世界が浮かび上がってくる」なんて読み替えると、今の世の中にはちょうどいいのかもしれない。


皇帝の土木事業は、すべて統一の直後におこなわれたと考えてしまいがちだが、そうではない。鄭国渠という水利施設は秦王政の時代、咸陽城の拡張や馳道という道路網の整備事業は統一直後、長城や軍事道路の直道、阿房宮などの工事は前215年以降、対外戦争が始まってからの戦時体制下のことであった。(p.41)

この錯覚は特に指摘されない限り、漠然と信じられてしまうだろう。つまり、あたかも秦の大土木工事は15年の「統一」を成し遂げた時代になされたかのような錯覚に陥りがちだ。

理由は簡単で、教科書や本や年表などに書かれ、テレビなどマスメディアで紹介される「秦」は「統一」時代のものがほとんどだから、「秦」という王朝のイメージはその時代のものとして捉えられてしまうからだ。

逆に言えば、秦が統一帝国を形成する前のプロセスはあまり書かれたりしないために、人々の意識の中には現れないので、あたかもそんなものはなかったかのように扱われるというわけだ。こうして、「秦王朝が作ったもの」は、短絡的に「自分が知っている時代の秦帝国」のものだと結び付けられる。

実際には、秦王朝は統一帝国を形成する以前から存在しており、活発に活動を続けていたのだが、そうした事実は考慮に入らないために、このようになる。

最近の歴史修正主義や政府や自民党の広報などは、いうなれば、意図的に「秦王朝には統一時代の活動はなかった」とすることで「秦王朝は15年間で大事業をやった」と宣伝するのにも似ている



戦国時代は東北に流れた第二の可道をみれば、南方の楚を除く燕・趙・韓・魏・斉・秦の六国が国境として黄河を共有していたことがわかる。・・・(中略)・・・。黄河上流に位置し洪水の被害のなかった秦は、黄河の水を決壊させて魏の大梁を攻めたように、対東方六国の戦術に黄河を利用した。・・・(中略)・・・。司馬遷は400年も続いた黄河河床に泥土が堆積し、瓠子(こし)で決壊しながらも十分対応できない対策になげいている。秦漢帝国が関中や洛陽に拠点をおいた理由は、こうした東方の黄河下流の洪水を避けたからである。(p.66-67)


このことは本書を読んで初めて知った。西方にあり経済的にはおそらくそれほど豊かではなかったと思われる秦が他の王朝を倒すことができた理由の一つはここにあったのだろう。

本書の著者はブローデルの言う長期持続や変動局面のようなやや長い時間から歴史を見ており、興味深い。




私たちは起点となった秦漢帝国は、統一を完成させたのではなく、曲がりなりにも戦国の国家システムの延長上に統一システムを始めたにすぎないと考えたほうがよい。そうでなければ、その後2000年の王朝交代史は単調なものになってしまう。(p.85)

これも比較的長い時間軸で歴史を見ていることの事例。また、中国の王朝の統治のあり方と社会の構成を見ていく上で参考になるパースペクティブを与えてくれる見方だと思う。

例えば、地方政府と中央政府との関係は、戦国時代の王朝とそれを統一した王朝との関係を継承している。

後段の理由のつけ方は、ある意味では「事実」というより「要請」という印象を与えるが、その判断の背後には2000年もの長きにわたる歴史、それも中国のような広大な地域の歴史的展開が、そんなに単純な図式で語れるほど単純ではありえない、という仮定がある。これ自体、確かに仮定ではあるが、これまで人類は歴史を説明するための数々の図式が失敗してきたという「経験的事実」――これ自体、理論負荷されているが――を参照枠として持っているために、よほどひねくれていない限りは大抵の人に対して説得力を持ちうる仮定だと言える。

政治などについてばかり文章を書いていると、こういう込み入った――というほどでもないが――説明を使えない。これは私にとっては物足りない。大昔、政治以外のことを書いているときは、誰にも読まれなくてもよかったから、こういう当たり前すぎることを少し「くどく」書くのもやりやすかったが、今、メインブログで政治の話を書く場合、度を越えて読みにくいのは、さすがにまずい。だから、多少正確さを犠牲にしたり、砕いて書いているところがある。

そんなわけで、たまにはこういう文章読解の詳細も書かないと(力を使わないと)、だんだんかけなくなってくる気がする。

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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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