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アヴェスターにはこう書いている?
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李成市 『世界史リブレット7 東アジア文化圏の形成』

 1950年代から60年代にかけて、おりに触れ、日本人の世界史における現代アジアへの問題意識が希薄であることを訴えていた上原氏には、日本はアメリカの政治的従属下にあり、そのままでは戦後のアジア・アフリカ諸国と直接に向き合うことができず、これでは真に世界史を生きることができないと感じられていた。第一次世界大戦以後の世界秩序は、ヨーロッパ人が支配の対象としてつくりあげたヨーロッパ人の秩序(一体的世界)であり、これをアジア・アフリカ諸国と連帯して、その支配・従属の構造を否定し、構造転換をはたすことが現代の切実な課題であった。(p.38-39)



アメリカの従属下にあり、それ以外の世界にまともに向き合えていないというのは、50年が経った今でも妥当する。その意味では今でも同じ問題を抱えていると言える。

ただ、現代の問題について言えば、こうした戦後一貫して継続してきたレジームについて、「戦後レジームからの脱却」を謳う連中が、むしろより一層アメリカへの従属の度合いを深めようとしている点には注意すべきであろう。

それを「戦後レジームからの脱却」と言いながらやろうとしているワケだ。憲法9条を改正して、海外で自衛隊を使えるようにして、アメリカの都合の言うがままにその軍事力を使おうというのだから。

そうなれば、アメリカは自国民の犠牲を出さずに安上がりで世界を軍事的に統治できるし、日本は犠牲が多く出て財政支出も増えるが、アメリカからはより多くの「リップサービス」だけは受けられるようになるわけだ。

まさに「安倍こべ」である。対米従属という「戦後レジーム」の悪い面だけが拡大されることが、「戦後レジームからの脱却」とは全く笑わせる。




 漢字文化の伝播と受容は、中国との政治関係が大きな契機となっていたであろうが、あまり継続性のなかった中国との外交関係のみにかかわるのでなく、隣接する周辺諸国間の普段の重層的な交渉にかかわって、漢字文化が伝播し、受容された可能性を今後も追究してみる必要がある。(p.69)

すでに西嶋氏自身が指摘するように、冊封関係の設定とは、周辺諸民族の首長を中国王朝の国家秩序のなかに包含することによって、この秩序体系をその地域に拡延することであるから、冊封された首長たちは、その支配体制を自らも中国王朝に似せて整備しようとした。彼らは、中国から冊封を求めたのは、彼ら自身がその支配領域内において権威を確立しようとしただけでなく、さらに彼らの周辺にたいしても支配的地位をえようとしたためでもあった。それゆえ、冊封関係が、中国と周辺首長との関係として設定されることによって、またこれらの首長とその周辺との関係として拡延されることになる。(p.75-76)



このあたりは、本書が主張しようとしていたことのひとつを端的に表現しているところだろう。実証的な事例を交えて本論は展開されているので、かなり説得力がある。

ただ、本書の実証研究からの引用は、中国東北部から朝鮮半島がクローズアップされているために、西域やロシア、チベットにはなぜ漢字が朝鮮半島や日本、ベトナムほどには伝播しなかったかということについて、それほど説得的な議論は展開されていない。ここに僅かに不満があるが、本書のような小冊子にそこまで求めるのは行きすぎでもあろう。




「わが国の文化」「日本独自の文化」「日本固有の文化」「独自の民族文化」「日本文化の個性的性格」「日本独自の創造物」などといった用語に戸惑いを禁じえない。いうまでもなく、それらは近代日本において、仮想された「西洋」のまなざしのなかで発見され、創造されたものであった。(p.84)



最近30年以内のそれなりの社会科学的文献を一度でも読んだことがある人にとっては、これはあまりにも常識的な話なのだが、どうもそうでない人もいるらしい。

仮想された「西洋」のまなざしのなかで、というのは、仮想された「西洋」と仮想された「日本」とを比較して、前者に見当たらないが後者にだけは見つけられるものがあれば、それが「日本に固有の文化」とされる、ということだ。

仮想された「西洋」から見て、その「西洋」にはないが「日本」にあるとされるもの。もちろん、「西洋」だけでなく「中国」なども見た上で「日本に固有」かどうかが検証されるわけだが、実際には知れば知るほど「日本に固有」なんてものはないってことがわかってくる。ただ、あまり一般には広く知られていないために、あたかも「日本に固有」に見えるだけ。

この仕組みが分かれば、「伝統」と呼ばれるものの多くが、実は新しいというホブズボームらの主張が正しいことの理由も分かる。ある人が直接知っている時期から始まったのでない限り、外部から来たのではない「固有の文化」は、古くからあるものでなければならないから。

もちろん、こうしたイメージ形成には、メディアの働きや政治的支配層の都合など、いろんなことが絡んでいるから、これだけが要因だ、などと単純に割り切って言うことはできないが、ひとつの要素としては指摘できると思う。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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