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アヴェスターにはこう書いている?
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尾形勇、岸本美緒 編 『新版 世界各国史3 中国史』(その1)

 秦漢帝国が「第二次農地」を基盤として成立したとすれば(六六頁参照)、それにたいして後漢は、「第一次農地」の再興と発展によって維持された国家であるといえる。「第二次農地」は、国家の指導のもとで開拓された新開地であったから、規模は大きいが、国家が保護と管理を怠れば、全域が荒蕪地に戻ってしまうという弱みを秘めた農耕地であった。一方、「第一次農地」は、もともと国家の手を借りることなく古くから成立していた農耕地であり、容易には崩壊しない自立性の高い地域であった。
 漢帝国の版図は、武帝期に最大を誇ることになったが、後漢の時代には、多くの県のみならずいくつかの郡までもが廃止され、これら郡・県が復興されることはなかった。廃止された諸郡は、ほとんどが北方および西北部にあり、この地区は、いずれも秦漢時代にはいってあらたに開発・設置された「第二次農地」として理解できるものである。後漢になって消え去った諸県は、辺境にとどまらない。・・・(中略)・・・
 漢代を通じて「大姓・豪右・勢家」などとして表現される豪族は、おおむね「第一次農地」を基盤として形成され、存続した存在であり、後漢時代には、国家の保護をあてにすることなく勢力を保持し、とくに江南では、それら豪族の指導のもとにあらたな稲田が開発され、それぞれ北方から逃れた人々を隷農(奴客・徒附)として吸収しながら、独自の権力を伸ばしていった。(p.96-97)



秦から前漢までと後漢との社会経済的基盤の相違。




 文成帝の復仏後の北魏では、沙門統(仏教教団統率者)の曇曜(どんよう)が平城の西に石窟五カ所を開鑿し、それぞれに仏像一体を安置した。雲崗石窟中のいわゆる曇曜五窟で、それらは道武帝・明元帝・太武帝・景穆帝(文成帝の父で皇太子のときに死去)・文成帝の五帝に比定される。そのうちの四体は如来像で、北魏で道武帝以来おこなわれていた帝王即如来の思想に基づいている。残る一体は交脚弥勒菩薩像で、過去の四帝を如来像であらわしたのにたいし、現存の文成帝を、釈迦入滅後に下生(げしょう)して衆生を済度する弥勒菩薩に擬したものと解釈されている。当時さかんに寄進された仏像の造仏銘にも、発願者の近親のみならず皇帝・皇后・皇太子の繁栄を祈願したものが多く、廃仏後の北魏仏教が皇帝支配と結びついて信仰を再興したことがわかる。北魏の仏教は、北魏の支配イデオロギーの役割をはたすことになったのである。(p.127)



大同の雲崗石窟や洛陽の龍門石窟はこうした北魏の政策との関連でできたものとされる。
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