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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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エミール・マール 『中世末期の図像学』

中世の作品は美術館でではなく、その現場において見なければならない。美術館はたくさんの興味深い事実は教えてくれるが、心の躍動は与えてくれない。芸術作品はその地方の風景や森や水や、しだや牧草の匂いと結びついていなければならないのである。芸術作品は街道を通って遠くから訪ねてゆくべきものである。そして、それを見た帰り道では、何時間もその感動を心の中で暖めるのだ。するとそれは心の内部のすべての力を活動させはじめる。芸術作品がその秘密のいくつかをわれわれに打ち明けてくれるのはそれからなのである。(p.12-13)


同感である。世界中を旅して回りながら、実物に接することの意味はここにある。芸術としての建築は体感するものだというのが私の持論だが、マールが言うように絵画や彫刻なども同じようなところがある。

フィリップ美貌王の時代にパリにやって来たイタリアの画家たちは、教皇ベネディクトゥス12世とクレメンス6世の時代にアヴィニョンにふたたび現われる。教皇たちは優れた審美家であった。彼らは建築家はフランスに求め、画家はイタリアに求めたのである。(p.28)


これは14世紀の前半のことだが、芸術のパトロンであり続けてきた教会が分裂していたこともイタリアからフランスへの芸術の伝播・影響を促進した面があるのかもしれない。

12世紀と13世紀には、ビザンティンの芸術家たちは、やがてジョットに着想を与えることになる構図をすでに完成の域にまで到達させていた。(p.47)


ここは本書を読んで非常に納得した部分である。ジョットなど初期のイタリアルネサンス絵画に見られるアルカイックな感じはビザンティンからの影響を考慮に入れれば簡単に説明できるように思われたからである。

このように、9世紀、10世紀からすでに、ギリシアの著述家たちは西欧がずっと後に知ることになる感情を語っていた。彼らが想像していた悲しい場景はやがてほどなくオリエントの芸術家たちによって作品に表現されたのである。(p.48-49)


これもヨーロッパ地域は何かとオリエントからの影響を受けているという事実を補強する事例であろう。

パリでも、トゥールでも、ルーアンでも、祈祷書の挿絵は芸術であると同時に産業である。(p.118)


多くの図像が金太郎飴状態なのはこのことと関係していると思われる。

 そこでまず目を引く興味深い現象は、11,12世紀、さらに13世紀においても、「受難」に捧げられた論文や説教の数がきわめて少ないことである。説教家たちは信者にイエス・キリストの死よりもその誕生と復活について語ることの方を好んだ。・・・(中略)・・・
 14世紀のキリスト教は12世紀のキリスト教と少しも似ていないと言ってよかろう。
 飽くことのない想像力が「受難」のあらゆる場面を思い描く。(p.128-129)


12世紀やその前後のフランス周辺の地域には、キリスト教化されていない多くの人々がいるため、キリストの栄光の面を前面に出す必要があったのであろう。

しかし、14-15世紀には既にキリスト教化した民衆を「手なずける」ためにむしろ苦難のキリストを強調することが支配層にとって有効だったのであろう。なお、情感に訴えることも既にすべての住民がキリスト教徒という条件の下で、生活に非日常的な高まりをもたらすことで「ガス抜き」したという面があるのかもしれない。

これらは今後、調べていくにあたっての仮説に過ぎないが、こうした社会変動と連動させて美術を見ていくという私のスタンスを再確認するものでもある。

これは次のようなマールの見方とは近いものがある。

14世紀はまとまった総合的なものは造り出さず、その細部によってしか判断することができないのに対し、15世紀は13世紀の教会にほとんど劣らない装飾豊かな美しい教会群を一斉に出現させた。アブヴィル(ソンム県)のサン・ヴュルフラン教会の正面は中でも最も素晴らしく、装飾的彫刻の最もよく保存された例の一つである。ところで、そこに見られるのは、まるで行き当たりばったりに並べられたような預言者、使徒、司教、聖女、聖人などの像である。指導的理念なり構想なりをそこに探しても無駄である。この奇妙な無秩序についていろいろ考えた末にたどりつくのは、これらの多くの像は信仰団体がそれぞれ彼らの守護聖人を賛えるために芸術家たちに依頼したものにちがいないという結論であろう。(p.306)

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「中世末期の図像学〈上〉」エミール マール 国書刊行会

本書が扱うのは14世紀以降、1563年のトリエント公会議まで。 本書の中心課題は15世紀の新しい図像の研究。 中世末期芸術の示す二つの相 1)物語的芸術・・・キリスト教の歴史、聖人たちや殉教者の物語、聖母、とりわけイエス・キリストの物語 ← 13世紀の象徴主義から強.. 叡智の禁書図書館<情報と書評>【2008/01/04 21:47】