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アヴェスターにはこう書いている?
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NHK「新シルクロード」プロジェクト 編著 『NHKスペシャル 新シルクロード5 カシュガル、西安』(その2)

 2020年までに、80万人が暮らす新しい都を作るという西安の都市計画。はたして、このまま右肩上がりの急成長を続けてゆけるのか。バブルは、いつかはじけてしまうのではないか。正直いって不透明な部分も決して少なくない。
 北京で、政府の経済政策の企画立案に携わる、ある学者に本音を尋ねたことがある。
 「中国政府は、どれくらい本気で西部大開発を進めているのか」と。
 返ってきた答えは、示唆に富むものだった。
 「江沢民が、2000年い西部大開発という言葉を使い始めたのには訳がある。いいですか、『大』という言葉がポイントなのです。よくよく政府の文書を見ると、政府への投資や開発は、実は、『沿海部の発展を阻害しない限りにおいて』という限定条件がついているのです。首脳たちは、砂漠に水をまくような投資が何ももたらさないことを知っています。だが、ある程度は、格差是正のために開発をしているふりをしなければ、大衆の不満は解消できない。『大』という文字は、その気分を醸し出すのに最高のキャッチフレーズなんです。それだけにすぎません。まあ、西安についていえば、中国政府としても、西部のなかでの『龍頭』を目指しているのは事実でしょう。これじゃあ西部大開発じゃなくて西安大開発だと、隣の貧しい甘粛省の人間が嘆くほどですからね。いずれにせよ胡錦涛も、西部の重要性を熟知しながらも、これは時間をかけてやるしかない仕事だとわかっているはずです。本気でやれるようになるのは、もっともっと中国本体に力がついてからなのかもしれませんね」(p.192-193)



私見では、長期的には西安を軸として西域にもある程度の改善は見られるだろうと見ている。「出稼ぎ先」が近くなるだけでも、チャンスは広がるからだ。富の配分が十分に西域にも行き渡るのは、かなり先の話だろうし、その前に中国経済が不調になってしまえば、西部は見捨てられるだろう。

ただ、今年、NHKで(上記の地域とは地域は異なるが)青海省などに鉄道が通ったことを踏まえて特集番組が組まれているように、こうした事実は一応、中国全土でインフラの整備が少しずつは進んでいるという実績を示すものである。上記の学者の悲観的な見解は妥当ではありながらも、多少の生活改善は見られるのではないだろうか。

「格差」は広がるだろうが、最低限、全体の底上げができていれば、当面は過度に不安定な状態は避けられるだろう。問題は低成長の状態になり、今の日本のように停滞が「地方切捨て」というモードに入ってしまう場合、中国のように「多民族」からなる政治体は統一性を維持することが難しくなる可能性があるということである。




 中国の長い歴史の中で、長安が、中国史前期の代表的な都城となった最大の理由は、ユーラシア大陸を貫く生態環境の境界地帯に立地したからである。図2のように、長安は、農業―遊牧境界地帯の南端の農耕地域に立地していた。この立地によって、長安は、異なる生態の産物や情報が交換される場所となり、農耕地域と遊牧地域を結ぶ政治機能をもつことができた。長安は、国際都市であることを運命づけられていたのである。
 中国史の後期に、長安に替わって北京が中国を代表する都城になった理由は、次の三つの要因が重なったためである。
 すなわち、[一]遊牧地域に新たな強力な遊牧・狩猟民が出現して、これらの勢力地と北京とが隣接していたこと(軍事要因)、[二]長江下流域が中国の主要穀倉地帯となり、この穀倉地帯と水運で直接に連結できる場所に北京が位置していたこと(経済要因)、[三]ユーラシア大陸の交通幹線が、内陸の陸路から沿海の海路に転換したために、海路を利用できない長安に対して、沿海部にほど近い北京が優位に立ったこと(交通要因)である。このように、長安は、ユーラシア大陸の歴史に育まれて繁栄し、ユーラシア大陸の歴史構造の変転とともに、都としての地位を失った。(p.207-208)



ブローデルやジャネット・アブー=ルゴドのような分析方法を適用している、大変興味深い分析。特に、長安が生態環境の異なる地域の境界地帯にあったというのは、なかなか鋭い。

コンスタンティノープルやバグダッド、カイロのような交通要因が大きな要因をなしていることが明白な大都市の場合、それらが大都市となった要因を見つけるのはたやすいが、こうした生態環境という視点は、ある程度の歴史観が背景理論としてなければ、なかなか出てこない。

北京に関してはやはり軍事要因が大きな位置を占めており、運河によって経済要因と交通要因の困難がクリアされた点が大きいのだろう。




狭い洞窟の中で大勢と一緒にガイドの説明を聞きながら見ても、ただそこに壁画がある、塑像があるという以上の感興は生まれてこない。
 自由に歩く中で、不意に自分の心が動かされる絵画や仏像に遭遇する。そのとき初めて、それがひとつの体験になるのだ。しかし、敦煌の莫高窟では、ほとんど「体験」することはできなかった。(p.224)



しばしば旅行をする身として、非常に共感する一文。

私にとってこうした経験の最初のものは、ロンドンでのウェストミンスター・アベイとの遭遇だった。天空へと伸びるファサードの塔の質感や重量感に打たれた。口先で説明しても決してわかってもらえないのが惜しいところだ。

あとは、ローマのパンテオンやフィレンツェのドゥオーモの空間体験だろう。建築が作り出す空間の力というものをそれらを通して初めて体験した気がする。

ガイドツアーは手軽で楽ちんだし、場所によってはそれを使わないとアクセスすること自体が難しいところもある。しかし、そうでない場合にはやはり自分の足と力で行く方が遥かによい「体験」になるのは間違いない。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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