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アヴェスターにはこう書いている?
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鈴木哲夫 『政党が操る選挙報道』(その6)
安倍が首相に選ばれた2006年の自民党の総裁選の報道についての記述。

 しかし、果たして安倍は総裁・総理たる政策を持ちうるのか、福田はどうなのかといった政治家としてチェックする報道は圧倒的に少なかった。
 ・・・(中略)・・・
 05年の劇場型総選挙以来、メディアには政治との距離をどう測るかという宿題が突きつけられていたが、総裁選もまた同じ過ちを繰り返したとしか言いようがない。
 大手メディアが、≪安倍・福田のレース≫のように報じれば、次の世論調査ではまた二人の数字が跳ね上がり、それをまたニュースにして……、と相乗効果を生んだのだ。
 当時、親しくしているベテラン政治評論家はこう指摘した。
 「実は安倍も福田も政治経験はまるで足りない。安倍の北朝鮮以外の政策が何かあったか?一方、安定感の福田なんてマスコミは書きたてているが、あの人は官房長官以外の重要閣僚経験もない。国民は騙されてはいけない。森さんや若手議員たちが盛んに動き、メディアも乗せられて安部か福田かの流れができている」
 安倍・福田の虚像……。総裁候補に厳しい目を向けることがメディアの役目であったはずだ。総裁候補を丸裸にして、政権公約を問い、人間的要素までもしっかりとウオッチすべきだったのではないか。
 この総裁選で、立候補に必要な推薦人20人の確保の見通しが立たないまま出馬表明したのが河野太郎。
 河野は言う。
 「推薦人がどうだとか人気がどうだとかではないはずだ。出馬表明して、自分の政権構想や政策をきちっと説明して初めて推薦しようかどうかみんなが考えてくれるのではないか。それが筋ではないか。党は、阿部さんや麻生さん、谷垣さんを七月からブロック大会に呼んで討論会をやっているのに自分を呼ばない。聞くと、推薦人が集まりそうにないから、と言う。安倍さんたちは出馬表明すらしてなかったのに。おかしな話だ。」
 そして、メディアに対しても疑問を投げ掛ける。
 「党も党ならメディアもおかしい。メディアがやっているのは政治報道ではない。政局報道だ。だから、誰と誰がメシを食ったとか、誰と誰がくっついたとか、派閥が一本化しようとしているとか、そんなことばかりやってる。政策とかをきっちり検証するような報道をしていない。私は、(総裁選の)出馬表明で年金改革とか政権構想を出した。これについて、いいとか悪いとかそんな検証報道すらない」(p.222-225)



全く同感である。最近、安倍は「愚直にやっていく」みたいなことを言っているが、本当に愚直なのは河野太郎のようなやり方のことを言うのだろう。

結構ウケたのが「安倍の北朝鮮以外の政策が何かあったか?」というフレーズ。北朝鮮に対する強硬姿勢だって政策と言えるような代物ではない。結果も省みず、ただ圧力をかけるだけならどんな馬鹿でもできるのだ。安倍晋三には政策と言えるような政策はない。

メディアがやっていることは政治報道ではなく政局報道だという河野の指摘は正しい。政策を検証するような番組などほとんど見た事がない。中身のある政策をここ数年見たことがない。ここ数年で行われたのは、自民党(幹部)にとっての敵対者を破壊するための政略だけだといっても過言ではない。

政策について真正面から考えるような機会があまりにもなさ過ぎるのだ。メディアが政治報道ではなく政局報道ばかりを垂れ流している以上、いわゆる「B層」やそれに近い人間が政策について考えるという事態は起こりえない。

社会の問題が噴出している現場は、政策を考えるような余裕がない。どうしたらいいかという考えがあったとしても、サバルタンは語ることが難しいのだ。

そうしたところにも関心を持てる知的階層の数は限られている。ブログの言論を見ても、今の政権では政権を批判することに忙しく、積極的に持論を展開することは難しい。積極的な議論も所詮パッチワーク的なものばかりになっている。私もかつては自分の幾つかの分野に関する社会科学的分析と政策構想(?)をウェブサイトで公表していた――実際に、とある学会(もちろん「創価学会」ではない!(笑))の方から入会のお誘いを受けるくらいのもので、それなりの出来だったと自負している――が、最近は国会が異常状態続きで、じっくりと自分の説をあたためるヒマもない。


では、どのようになることが望ましいのか?

さしあたり、マスメディアが権力に対して批判的な報道スタンスをとるようにすることによって、より多くの人に物事を考えさせるような報道が増えれば、政治家も暴走はしにくくなるし、有権者ももう少し物事をきちんと考えられる素地ができると思われる。

報道の政治権力からの独立が必要だ。そのためには財界と政界との「癒着を超えた一体化」が進んできた90年代以降の流れを断ち切る必要があると痛切に感じる。スポンサーたる財界が政界と一体である限り、報道は視聴率稼ぎに終始せざるを得ず、政治のために必要な公共性を確保できず、私企業としての活動が優先されるからだ。先のエントリーで書いた第三者機関による規制も含めて、メディアを取り巻く状況に関する課題は多いと改めて痛感する。

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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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