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アヴェスターにはこう書いている?
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鈴木哲夫 『政党が操る選挙報道』(その4)

 言い換えれば、今回成功を収めたコミ戦の本質は、いかに攻めるかではなく、いかに問題のある事態を予測、把握し、防ぐかという危機管理なのだ。(p.109)



本書が紹介するコミ戦の最も本質的な要素を指摘している箇所のひとつ。

そして、小泉政権と安倍政権の相違はこの点にあるといって良い。逆に言えば、安倍政権が参院選後に倒れたとしても、その後の自民党政権が続くとした場合、安倍よりは優秀な首相が現われて、この点をしっかり固めることができれば、自民党支配は今後も続く可能性がある。

民主党など野党の側は自民党の危機管理を上回る攻撃を仕掛けることと、自らの危機管理もしっかりすることが必要になってくる。特に自民党の攻撃の矛先は民主党に向かうので、民主党にとって危機管理は極めて重要である。今回の選挙戦に限っては、私も民主党に倒れてもらっては困ると思っているので民主党には気を引き締めてやってもらいたい。

(政界再編で自民党と民主党が共に崩れるのは悪くない。ただ、その再編が本当に政策で分かれるのかという点については私は疑問を持っている。そして、政治家同士の人間関係のネットワークの方が彼らの政策よりも優先順位が高くなると見ている。ただ、その結果は私の予想できる範囲を超えているのでコメントのしようがない。)




次はメディアの現状。

 前出の元ディレクターは制作者の本音を話す。
 「政治という分野から見れば確かに許せないだろうが、我々情報番組からすれば最高に面白いのがスキャンダルであり悪役だ。それが我儘な田中眞紀子であり、事件を起こした鈴木宗男、加藤紘一、辻元清美だった。・・・(中略)・・・。はっきり言って、政治の本質ではなく、人間模様が面白ければワイド(ショー)や情報番組はそれでいい。結局それが世論形成に大きく影響すると批判はあるけれど、ワイドはワイドの、テレビ屋としてのプライドがある。人間をいかに面白く取り上げて、視聴者の興味に応えるか。芸能人も政治家も、我々からすれば同じなんだ
 しかし、こうした情報番組やワイドショーにとどまらず、ニュース・報道番組も流されてしまっている
 原因は、視聴率競争に他ならない。
 夕方帯のニュース激戦区で、高視聴率は至上命令だ。
 キー局の、夕方のニュース番組のアシスタントプロデューサーが告白する。
 「視聴率競争については、そりゃ局内で相当なプレッシャーがある。毎日毎日、数字(視聴率調査 日報)が配られてきてそれを見ながら一喜一憂してる。プレッシャーの連続で、一年と続かずに体を壊したディレクターなんてザラ。(政治ニュースの)作りがどうしても視聴者の興味に迎合してしまうのは仕方ない。まじめに硬く記者が解説したところで誰が見てくれるのかという議論になってしまう。追いかけるのは、常に眞紀子さんであり、今ならタイゾー(杉村太蔵 郵政選挙で当選した小泉チルドレンの一人)ということになってしまう。また、それを扱った方が視聴率は高いし、よそもみんなやってるならうちもということになる。ワイドショーと変わらない?変らないだろうね。放送記者出身の番組スタッフは忸怩たる思いをしている
 まさにこれがワイドショーのニュース化、ニュースのワイドショー化である。「視聴率を言われる限りこの傾向は変らない」(前出アシスタントプロデューサー)というのが現状なのだ。(p.146-148)



メディアの側の本音は、確かにメディアの内部では通用する論理であり、通常の企業と変らない。しかし、政治というものが「権力=暴力」と結びついているものであるという認識を前提にして考える限り、彼らのやり方が正当化されることはないだろう。政治家と芸能人の違いはまさにここにある。

芸能人は面白ければそれでいいだろうが、政治家は面白いかどうかよりも、彼らの政策や行為の結果がどのような利益や損害を人々に生じさせうるのか、ということの方が重要であるはずだ。もしそうでないならば、政治家は要らないだろう。その意味で、マスメディアの視聴率との関係から政治や政治家を扱うのは避けるべきである。

また、下線を付した箇所は一見もっともな意見なのだが、政治に関する問題というのは、常に多くの人が見ればよい、という性質のものでもない。もちろん、すべての人にあまねく行き渡るべきであることは確かであり、その意味では誰も見ない放送には意味がない。しかし、それ以上に重要なのは、政治についての情報というのは、人々が知ろうと思ったときに誰もが知り得るということではなかろうか。また、テレビで見なくとも、新聞では同等以上の情報が読めるならそれでよいとも言える。

テレビというメディアの業界の内部で政治の扱い方について共通の自己規制を設けることができれば、視聴率に関わる弊害はある程度回避できるのではないかと思う。

本来は、政治や行政からも、メディアの業界からも独立した第三者委員会のようなものがそうした基準を定めるべきなのだろう。
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