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アヴェスターにはこう書いている?
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鈴木哲夫 『政党が操る選挙報道』(その1)

 「永田町がキラーコンテンツになり始めたのは、自民党が野に下った1993年ごろから。善玉と悪玉という分かりやすい構図がいい。あのころは、守旧派とされた竹下(登元首相)など派閥政治の象徴みたいな人が悪玉で、細川(護煕元首相)さんたちがそれを壊すという善玉だった。ワイドショーの視聴者は、活劇を見ているように面白がる」(キー局ワイドショープロデューサー)
 小泉はこれにぴたりと当てはまった。連日、民法各局は、ワイドショーからニュース番組にいたるまで一日中、自民党総裁選を特集。その結果、総裁選は、あくまでも自民党の総裁を決める選挙であり投票資格は党員にしかないにもかかわらず、視聴者はあたかも国民投票のような錯覚に陥った。(p.19)



善玉と悪玉という構図がもつ面白さには注意が必要だ。

この観点から2007年夏現在の政治状況を見ると、誰も「善玉」になりきれないキャラクターしか出てきていない点に、善玉対悪玉の構図が生じていない理由を求めることができそうだ。

自民党はかつての派閥政治以上にドス黒い世界になっており、そのことが閣僚の数々の不祥事として浮上している。民主党もその点では規模は小さいが同類だと言える。社民党や共産党は、実際の主張されている内容は、かなり妥当なものが多いが、「自由な市場」での競争こそ善であり、それに規制を加えるような発想は悪であるというような「誤った観念」が、既に広く人々の間で常識として流布してしまっているために、彼らの主張の多くは必ずしも善と受け取られないところがある。

「二大政党制」は、容易に善玉対悪玉の構図になりやすい性質があるため、メディアが力を発揮しやすいところがあり、その意味でも危険な制度である。つまり、メディアが、権力を監視し、批判する側ではなく、権力を揮う側の側面支援をする立場になる。こうなると権力批判が公共の言論空間から消去される危険性がある。

また、自民党の総裁選が「あたかも国民投票」であるかのような錯覚に人々が陥ったことは、昨年の安倍晋三が総裁になった選挙にも当てはまる。




 「長く永田町では、新聞協会に所属するメディアだけが取材対象者や情報を独占し、我々には排他的だった。飯島さんはそこに風穴を開けてくれた。我々が総理官邸に足を踏み入れるなんて考えもしなかった。積年の大手メディアへの恨みが晴らせたからこそ、飯島さんに協力して小泉寄りの記事内容になった側面がある」(女性週刊誌編集者)
 メディアの性格の違いを考慮して計算し尽くした飯島の戦略があった。(p.21)



いわゆる「B層」向けの広報戦略。ワイドショーや週刊誌が政治を取り上げるようになったことで、「B層」が政治に関する話題に対してコミットする素地となっている。

私の考えでは、90年か80年代の後半頃から、テレビのニュースや報道番組でもキャスターが自分の意見を価値評価を付加して述べるようになったことも、「B層」向けの意見が氾濫する下地にあるのではないかと思っている。報道番組などでキャスターなどが勝手に主観的なコメントを述べることは避けるべきだろう。そうしたコメントを述べることは、テレビやラジオでは避けるべきであり、相対的に冷静に情報を受け取りやすい活字メディアに限るべきではなかろうか。

いわゆる「B層」が政治的な話題にコミットすること自体は必ずしも悪いことではない。しかし、彼らは自ら批判的に考えることはないため、メディアの影響をモロに受け、その方向にイナゴのように向かってしまうという点で民主主義を破壊する可能性がある。

理論的には民主主義は、それなりに「強い個人」を仮定している。つまり、自立的自主的に物事を判断できる個人がその担い手であると想定している。しかし、メディアの影響をモロにうける人々はそうしたモデルから程遠い。理論モデルと現実に齟齬があると、理論モデル通りの現実が生じなくなる。つまり、デモクラシーの政体だからといって、民主主義の理念がそのまま完全に具現化したことは歴史上ないと言って良いが、その理念からさらに逸脱する圧力がかかることになる。

様々な情報が流れることは良い。しかし、例え結果的にであれ扇動するような情報の出し方をすることは慎むべきである。マスメディアに対してはこのように思う。(ただし、当然のことながら、ウェブ上のコンテンツ、本、新聞、雑誌、ラジオ、テレビなど、メディアの特性に応じて、主観的な判断を混合して良い度合いや観点の多様性を確保する必要性などは違ってくる。)
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