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アヴェスターにはこう書いている?
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饗庭孝男、陣内秀信、山口昌男 『ヴェネツィア 栄光の都市国家』

 ところでヴェネツィアの絵画は、他のイタリアのどの都市よりも遅くあらわれた。・・・(中略)・・・
 他方、ヴェネツィアに集まっていたギリシア人たちの共同体設立が認められたのが1494年であり、彼らの教会は1539年に建築がはじめられた。このサン・ジョルジョ・ディ・グレーチはまさに東方教会である。思いの外にこうした措置が遅れたのも、ヴェネツィアの長年にわたるレヴァント支配から生じたギリシア系住民とのあつれきのせいである。この政治上の問題も、海外領土をほとんどもたなかったフィレンツェの古代研究とは大きく異なっていたのである。(p.108-109)



ビザンツとの関係が深かったが故に、逆にビザンツの人々を受け入れるのに時間がかかった面もあるという逆説的な状況は興味深い。もちろん、これはことの一面でしかなく、基本的にはビザンツ的なものの輸入は他のイタリア諸都市よりも早かったと思われるが。

なお、余談だが、歴史上、ギリシア人と言われる人々は、現在のギリシア共和国に住む人々というよりも、ギリシア語を用いていた人々――さらに言えば、ギリシア語を用いるといっても書き言葉としてギリシア語を用いていたということであり、ギリシア語を話していたかどうかは別問題であるが――という程度の意味であり、主にビザンツ帝国の住民の一部であると考えるべきであろう。




 さてヴェネツィアの絵画の問題に戻ろう。この都市はサン・マルコ教会の壁画の下書のところでも見たように、フィレンツェ絵画の表現形態から多く得るところがあったが、一方で海上貿易の上でもふかいつながりがあるネーデルランドやフランドルの油絵の技法の輸入によって他のイタリア諸都市にまさっていた
 十五世紀のヤン・ファン・エイクの絵画のリアリズムを支える油絵の濃密な質量感と光沢が、ヴェネツィアでは「地上の歓び」を描く上で、この上もない力を発揮したのである。(p.109-110)



ヴェネツィア派はルネサンスと北方絵画(油絵)の光の表現との両方から影響を受けているという点には納得する。
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