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アヴェスターにはこう書いている?
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小野善康 『不況のメカニズム ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ』(その3)

「結果の平等」と「機会の平等」
 市場原理の誤解は、結果の平等では経済は活力を失って効率が下がるから、機会の平等を推進すべきだという構造改革派の主張においても見られる。そこで言う機会の平等とは、競争に負ければ倒産して働く機会を失うという事態も含めて、言われている。しかし、本当に効率を追求するための機会平等を主張するなら、その前にまず働きたい者には働く場が必ず与えられる状況を作らなければならない。
 成功している個人や企業が、倒産や失業も含めた意味での機会平等を支持する本当の理由は、経済全体の効率化ではなく、単にそれが自分たちにとって都合がいいからである。ライバル企業が減れば、生き残った企業にとっては都合がよい。個人にとってもライバルが減れば、競争も軽減できるし職場も確保できる。彼らの言う効率化とは成功者だけにとっての効率化であり、日本経済全体の効率化ではない。そもそも働かない者を増やす政策によって、経済全体の効率化を実現できるはずがない。
 構造改革派による雇用流動化の主張も、成功した個人や企業の利益追求にすぎない。好況でいくらでも就業機会はあるのに、雇用情報が不足して適当な仕事を見つけられなかったり、正社員が労働組合の保護によって不当に高い賃金を得ていたりするというなら、雇用流動化も必要であろう。しかし、実際に好況であった1980年代末期には、雇用流動化どころか日本的長期雇用が礼賛され、雇用流動化の必要性が叫ばれ始めたのは、失業率が跳ね上がった2000年以降のことである。需要不足で不況が起こっているなら、いくら臨時契約を増やしても、経済全体で働くことのできる人数は決まっているから、その分常勤労働者が減るだけで失業総数は減らない。したがって、不況期の雇用流動化は効率化には結びつかない
 他方、成功した企業の利益誘導という点から見れば、雇用流動化は大変都合がいい。臨時雇いを増やせば賃金も引き下げられるし解雇も容易になるから、個々の企業のもうけは増える。しかし、総労働時間は変わらないから日本経済全体の効率は改善せず、企業がもうけた分、労働者の所得が下がるだけである。実際、民間企業の平均給与は1998年から2005年まで毎年下がり続けているのに、企業の経常利益は特に小泉政権発足以降、大きく上昇し続けている(図29)。

現代日本の政治構造
 結局、新古典派経済学の市場原理に基づいて行われた構造改革とは、ほとんどの場合、効率とは無関係の、成功者による利益誘導である。その証拠に、不況のときこそ単純な市場原理は効率化に結びつかないのに、不況になるほど余裕がなくなってこのような主張がなされる。
 他方、これに反対する勢力も自分の支持者の便益のみを優先した政策を訴える。いわゆる抵抗勢力は、地元選挙民の支持を得るために自分の選挙区での公共事業を拡大しようと画策し、左派政党は福祉重視を強調して貧困層からの支持を得ようとする。これらの政策には、日本経済全体の効率化にとって実際に生産される総量を拡大し、成功者も失敗者も、都市部も地方も、すべてがその恩恵を享受できるようにするという発想はない。効率化を標榜する構造改革も実態はこれと同じであり、力のある成功者からの支持を得るための利益誘導にすぎない。
 成功している個人や企業にとっては、自分の利益が守られているかぎり、日本経済全体の効率や失業対策など、どうでもよい。失業保険料も取られず、税金も納めず、ライバル企業や政府企業が排除され、自分さえ働く場が確保されて好きに物を売ることができれば、あとはどうでもよい。そうした利己的な分配要求をためらいもなく効率のためと言えるところに、構造改革がこれほど支持される理由がある。
 日本が経験した程度の不況であれば、こうした政策を支持する成功者の方が圧倒的に多いから、構造改革の主張が力を持つ。しかし、不況がさらに深刻化して失業者や貧困層が増え、福祉政策という形で「カネをよこせ」と言う人々が増えれば、ケインズ政策や社会政策の方がより多くの支持を得るであろう。いずれにしても国民全体の利益ということは眼中になく、富裕層も貧困層も、成功者も失敗者も、「他の人はどうでもいいからとにかく俺にカネをよこせ」と言うだけである。
 個人や階層を比較してだれが多くもらうべきかという問題には、皆が納得する正しい答えなどない。一方では豊かな者が貧しい者を助けるのは当然だと言い、他方では能力のある者が多くもらうのは当然だと言う。このような状態では、数の力で解決するしかない。(p.203-206)



いろいろと考えが触発される箇所である。

まず、結果の平等と機会の平等に関して、私が考えてきたことが整理された。これらは概念的に区別できても、実際上の区別はほとんど不可能だと考えており、機会の平等を実現するためには、「ある時点において状態の平等」としての「結果の平等」を(たとえ相対的なものではあれ)実現しなければならない、という趣旨のことを何度か述べてきた。

雇用や起業に関しては、私の考えは次のように定式化することで、より概念的に精密さを増し、経済学的な理論との接合に成功することが分かった。

すなわち、完全雇用の状態を実現した上ではじめて、「結果の平等よりも機会の平等を重点的に実現するための政策」を実行する段階に入ることができる。完全雇用が実現していない状態である場合、機会の平等を実現することではなく、先に完全雇用を実現する政策を実施しなければならない。

小泉政権の構造改革が、政治的および経済的に有利な状態にある者を守るための利益誘導政治であることは私も気づいていた。それが構造改革の新保守主義としての側面である。構造改革の新保守主義としての側面は、主として非自発的失業が存在する場合における新自由主義=市場原理主義という方法によって達成された。このことが明確になったことが収穫だった。

もう少し砕いて述べる。

新保守主義と新自由主義は完全に一致する思想ではないが、極めて関係の深い思想であることは多くの人が気づいている。しかし、それらの関係を明確に整理することは意外と難しいところがある。本書のこの箇所の記述から、それが整理されたように思うのである。

根本には私が使う意味での「保守主義」があり、その実現のための手段として、「完全雇用でない状態での新自由主義」が用いられる、という関係である。

小泉がアドホックに銀行に公的資金を投入したりしたのは、市場原理主義・新自由主義ですらないと批判されることがあるが、それもどこにどのように公的資金を投入したかを見れば、私が使う意味での保守主義の目的には適っていることがわかる。つまり、相対的に強い者・有利な者を守るという目的には適っている。新自由主義は主要な手段ではあるが、唯一の手段ではなかった。このような関係になっているところに、概念的な整理が困難であった理由があったのだ。この関係が本書を読むことで完全に明瞭になった。これは大きな収穫である。

さて、後段の構造改革派に対する「抵抗勢力」に対する小野からの批判は重要な指摘である。一国の経済全体の効率性を高めるという視点が欠落している、という。その通りである。この点は私も、安倍政権になってからというもの、経済や財政に関する政策についての議論が全くというほどなかったこともあって、忘れそうになっていたかもしれない。

また、政治的な権力構造がかなり政権側に有利な構造になっているので、左派の政治家や言論人は様々な局面で追い詰められているというのが、現在の政治的情勢であろう。そうした中でトータルな視点を持つ余裕を左派=批判勢力が失ってきているというのは、確かに感じられる。その意味で、小野の指摘は反構造改革派にとって重要な指摘である。

分配で争っても泥仕合になる(?)ので、「真の効率性」とは何かを示した上で、「どのようにすることで効率性が上がるのか」を議論しろということだろう。私見では、分配で綱引きをすることにも意味はあるが、この視点を織り交ぜて議論した方が遥かに建設的なものになるのは間違いない。その上、批判勢力にはこの論点で議論した方が有利でもある。

なお、私自身も日々の忙しさに追われながらブログの更新頻度を一挙に上げたこともあり、視野狭窄になりそうな圧力を日々感じている。当面、今国会の会期末と参院選までの期間は、この圧力に抗して戦いを続けたい。
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