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アヴェスターにはこう書いている?
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小野善康 『不況のメカニズム ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ』(その1)

 好況でものがどんどん売れている状態にあれば、需要不足による失業など実感が湧かない。そのため、長期の好況にあったアメリカで、完全雇用こそが経済本来の姿という考えが支配的になるのは、ある程度理解できる。(p.)



90年代にアメリカで新古典派経済学が勢力を強めることができた社会経済的背景。それをそのまま不況期に輸入した日本の経済学者のバカさ、浅はかさにはあきれる。




 すなわち、非自発的失業が存在していれば、資金を税金でまかなおうが赤字国債でまかなおうが、公共事業を行った場合のすべての費用や便益および波及効果を考慮したあとに残る価値とは、その事業で作った物や提供されたサービスそのものの価値である。100万円の税金を集め、それまで活用されていなかった余剰労働力を使って作られた社会資本は、たとえそれが50万円分の価値しか持たなくても、その分が純粋な便益として残る。投資主体が民間であれば、100万円を使って50万円の価値しか作れないなら、差し引き50万円の赤字となるから、その事業は決して行われない。しかし、社会的にはその事業はやった方が効率面でよい。そのため政府の介入が必要なのである。
 つまり、予測能力が同じでも、自分の利益しか考えない民間と国全体の利益を考えるべき政府とでは、便益の計算方法が違う。このことを考慮した上の純粋に技術的な理由から、公共事業が支持されるのである。(p.87)



小野によるケインズ解釈。小野自身の見解では、さらにこれに追加される要素があるが、論理は大きく変わらない。

個々の事業体ではなく、それらを総体として捉えた場合、余剰労働力を遊ばせておくことの方が無駄であり、非効率的である、ということ。余剰労働力を活用して何らかの価値あるものができれば、何もできないよりマシということである。繰り返すと、余剰労働力を活用することは、収益を上げなければならない民間企業ではできないので、政府が介入することで、その資源を活用する方が効率的である、ということである。

つまり、非自発的失業がない場合には、政府の介入は非効率になるが、非自発的失業がある場合には、政府が介入したほうが効率的である、ということ。




 しかし、流動性選好によって、貨幣は実物投資に向かう購買力とともに、消費に向かう購買力をも吸い込む。そのうち投資について言えば、経済が成長して資本を十分に蓄積した経済では新規投資の機会が減るから、投資が景気循環の原動力とはなりにくい。これに対して消費なら、いまたくさん食べたり着たりしても、将来の消費意欲が減退するということはない。そのとき、景気循環の原動力として投資よりも消費が重要になり、確信の変化が貨幣と消費との選択に影響を与えて消費の変動を引き起こし、投資はそれに付随して変動幅を広げる役割を果たす。
 このような消費の変動による景気循環は、ケインズの考えた投資循環のような三年から五年程度の短期のものではない。特に、大恐慌や日本のバブル崩壊のように人々の記憶に長く残る危機的状況を経験すれば、確信を回復し、購買力を貨幣から物やサービスに向けるには、危機を自分の経験ではなく、単なる歴史上の出来事としてしか考えない新しい世代の登場が必要になる。
 その場合、景気が回復し始めるまでには、世代交代が進む15年から20年近くの歳月がかかる。実際、本書の冒頭の図1、図2に示したように、大恐慌当時のアメリカやイギリスでも、また平成不況の日本でも、景気が回復の兆しを見せ始めるまでにはそのくらいの期間がかかっている。(p.138-139)



投資ではなく消費が景気循環において重要な役割を果たすというのは、非自発的失業が存在する状況では恐らく成り立っていると思われる。これに対して、完全雇用の状態では、投資が主に景気に影響を及ぼすようになるだろう。

消費が景気循環を規定する際に、世代交代によって回復が起こるという説明は興味深い。一面の真理を突いているかもしれない。ただ、平成不況下の日本に関して言えば、私自身はその新世代にあたると思うが、私自身に不況の実感がないとしても、だからといって旺盛に消費しようとは思えず、給料が上がらない(上がる見込みが小さい)から消費を控えているのが実態である。

むしろ、こうした世代間の相違は、消費よりも投資の面に現われやすいのではないかと思う。バブルを経験したことがない世代がインターネットで株をやって大もうけしたり、大損したりするということの方が説得力があるように思う。

小野の論では、国を単位として考えているので、一国の経済が非自発的失業の状態にあるか、完全雇用の状態にあるかで政策の判断が下されるべきだと考えられている。それは「べき」論としては正しいと思うが、実際には一国の経済の中に完全雇用の領域(地域、社会層、業界等)と非自発的失業が存在する領域があり、それらの領域間の相互作用が(グローバル化という形で国外とのリンクが多くなっているため、相対的に)小さくなっているという現状があるのではないか。

その上で、国内消費の面では所得配分が不平等化しているために平均的な消費性向は低くおさえられており、不況は続いているが、完全雇用に近い状態の分野では若い世代を含めてせっせと投資に勤しんでいるという状態にあるのではなかろうか。その「完全雇用の領域」で扱われる金額が大きいので、見かけ上(名目上)、景気回復と言われているだけであるように思えてならない。

当然、政策としては累進課税による所得の平等化によって非自発的失業の分野を完全雇用に近い状態にする方が安定的な経済運営が可能になるので望ましいと私は考える。当然、完全雇用の分野では税がとられるが国内で物も売れるようになるので損はしない。再配分は、単なる配分の問題ではなく、経済の「効率化」に寄与するものなのである。




 ケインズは、高い流動性選好が実物投資を阻害するから、貨幣を保有するのに費用(持越費用)がかかるようにすれば購買力が実物投資に向かうと考え、料金を払わせて貨幣にスタンプを押すゲゼルの貨幣スタンプ制度を再度紹介している(第3章第3節参照)。その上でケインズは、この制度の限界について大変重要な見解を述べている(pp.357-358)。すなわち、流動性プレミアムは貨幣だけが生み出すわけではないということである。貨幣がだめなら、銀行貨幣、要求払い債務、外国貨幣、貴金属、宝石、土地などがある。これらも流動性プレミアムを持つから、貨幣だけに持越費用を導入しても、それらが代わりに購買力を吸収して実物投資が阻害される。結局、流動性を生むすべての資産に持越費用を課さなければ需要刺激効果はない。(p.141-142)



納得した。

ゲゼルの貨幣スタンプは、数年前に日本でも地域通貨などの形で、一部で流行し、注目を集めた。しかし、1~2年もすると、それらがあまりうまくいっていないという話が広まって、関心が一気に低下してしまった。地域通貨がうまく行かなかった理由は、まさにケインズが指摘するところに起因するものと思われる。




次は現代日本におけるワークシェアリングへの批判。厚生労働省の報告書における導入の理由づけに対しての反論。

 また、余暇を楽しめと言うと聞こえはいいが、その意味は、働かずに貧しいままでいなさいということである。そもそも不況で所得が減っていれば、余暇を楽しんでいる余裕などあるはずがない。(p.143)



ワークシェアリングは、非自発的失業がある状況で、労働の総量を増やさない政策だから、余剰労働力が活用されるわけではないことを小野は批判する。その上で、上のように屁理屈を言う厚労省を批判しているわけである。

ワークシェアリングは、確かに小野の言うように批判されるべき点が多いが、何もしないで失業者と就業者を完全に分けるよりは消費性向は多少上がるので、完全に無意味な政策とも言えない。しかし、小野の批判の本当の要点は雇用の総量を増やして完全雇用に近づける方が重要であり、ワークシェアリングを導入することによって、むしろそうした方向に向かう流れが遮られることへの懸念にあると言えるだろう。まったく妥当である。

ワークシェアリングは評価するのが難しい制度だと思うが、小野の批判はこれまで私が接した中でもっとも説得力があるものである。
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