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アヴェスターにはこう書いている?
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黒田美代子 『商人たちの共和国 世界最古のスーク、アレッポ』(その1)

旅慣れぬ金満大国の日本の旅行者たちは非常にしばしば、阿漕ぎな悪徳商人の餌食になりがちである。世界にはどこにでも、金のありそうなお上りさんをカモにしようと待ち構えている、雲助のようなワルがいる。価格が一定でないばかりに、このようなワルの悪乗りを抑えられないところは、確かに交渉方式に不都合な点である。これは否定し得ない一つの側面であるが、同時にスークはこれを防止するためのさまざまなからくりを持っているのである。ここではその一つだけを挙げてみよう。
 スークに特徴的なことは、特定のクォーターに特定の商品を売る同じような店がいやという程集まっていることである。あるクォーターは金銀細工、隣は絨毯の専門店、次には布地を売る呉服屋等々。ものを買うには値段に関する正確な情報を手に入れることが最も肝要であるが、例えば香料を買いたいと思うならば、香料の専門店が集まっているクォーターに行きさえすればよいのである。目ぼしい店の両隣、もしくは向かいの店を何軒か訪れさえすれば、買いたいものの値段、質など重要な情報はすぐに手に入るのである。不正確な情報にもとづいて売買することは愚の骨頂であるが、堅実な買い手ならばものを買う前にまずその相場を調べることであろう。さもない場合にはごまかされるか、富める者は多くを支払うという原則に従う結果になることを覚悟せざるをえないのである。
 スークのこの作りは、同時に商人たちに一種の自制を強いるような機能を持っているのではなかろうか。左右、向こう隣に同じ様な商品を売る店が数多くあるとすれば、どうしても不釣合いに悪い品を高く売るなどということはできないのである。顧客を自分の店につなぎ留めるためには、商品の質、値段について常に十分な注意を払うばかりでなく、それ以外にも人柄、知識などを介して彼らに有形、無形のサービスを提供しなければならない立場に置かれるのである。スークのこのような形態的な構成は、商行為にまつわる不正を自然にチェックする役割を果たしているが、それは翻ってまた商人たちの不当な競争を妨げることにもなっているのである。(p.24-25)



中東のスークでの買い物の仕方についての簡単な指南になっていると同時に、そのシステムが持つ「合理的な」側面について簡単に説明している。

ただ、同業者が同じ区域に集まるのは、売り手に適度な競争を生じさせると同時に買い手に多様な商品へのアクセス可能性を保証するだけでなく、引用文の例で言えば香水を買おうと思ったときに、どこに行けばそれが手に入るかということ自体を、買おうとする人に知らせるシグナル(一種の広告)にさえもなっているなど、様々な意味をもっている。

本書では述べられていないが、市街地における商品の配置にも基本的に規則性があるなど、中東の都市やスークは、調べれば調べるほど、知れば知るほど奥の深さが感じられ、その世界独特の合理性に満ちていることに驚かされる世界である

ちなみに、私自身、中東のスークには、ある程度の適応能力がある人には是非一度行くことを薦めるようにしている。(そうでない人には薦めないようにしている。(笑))




 実勢50パーセントに近い部分(※引用者注;90年代アレッポにおける経済活動のうちスークが関わる部分)が白昼堂々と隠蔽される背景には、現代の経済学者の方法論が深く関わっているであろう。先に述べたように、スークの交換経済は簡単に計算の可能性を受け入れない。多くの経済学者はそこで、計算不可能なものをインフォーマルなものとして頭から無視してしまうのである。そもそもこれは扱いにくいし、その占める率も先進国においては微々たるものである。ただし発展途上の国々に、これと同じ事態を想定することは妥当であろうか。アレッポの例にも明らかなように、それは実状無視も甚だしいといえるであろう。
 計算不可能ないわゆるインフォーマルな部分は、途上国ではかなり大きな割合を占めており、同時にそれは後に指摘するような意味で、忘れ去られてはいるがそれなりの重要な役割を果たしているのである。(p.28-29)



方法論や概念が、それを用いることによって、そこからこぼれるものを無視してしまうことの好例。




 東南アジアでも、南米でも、第三世界においては資本主義の<陰>の部分として、さまざまなかたちで二流品、中古品、闇取引と関わるインフォーマルな部分が占める比率は予想以上に高い。経済的に規格レヴェル、つまり<陽>の水準に手を及ぼしえない者たちが、足を踏み入れざるをえない部分がインフォーマル部門なのである。この部分は極めてしばしば、フォーマルな部分の反映、裏側の影といったかたちで姿を現す。アレッポの例でいうならば、これは(3)の定期市の経済活動がこれに当たるであろう。
 ただし長らく伝統的な商業で栄えたシリアのアレッポのような町では、とりわけその古い商業区、伝統的なスークにおいて、依然として古式豊かな、特別な商業形態をとった経済活動が行われているのである。(p.73)



日本も今後、こうした闇市場などのインフォーマルな経済活動が増えていくに違いない。規制緩和がいろいろな分野で盛んに行われているが、その結果として出来ている面も大きい。イスラームのスークの場合は、その世界独特の構造を保持しており、しかもそれが変化しながらも長期にわたって持続的に続いていたのに対し、日本の場合は安定的な構造が脆弱なシステムになるだろう。

また、若干意味合いは異なるかもしれないが、労働の分野では派遣労働の増加やその不法な扱いなども、日本における闇経済、インフォーマルな経済活動が拡大する予兆と見ることもできそうである。単に交換だけでなく、さらに大規模なトランスフォーメーションが進みつつあるのが現状であろう。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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