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アヴェスターにはこう書いている?
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村井哲之 『コピー用紙の裏は使うな!』

組織にはできた時点から無駄がある。組織で成り立っていない会社はないのですから、“すべての会社には無駄がある”ということになります。・・・(中略)・・・
 そうです。企業活動において、無駄をなくす方法や無駄を減らす方法を探究し実践し続けることは、組織が存続し続けるために必要欠くべからざることなのです。(p.24)



組織には常に無駄がある、という言い方はシンプルであり、有効な見方である。これは実際には、すべてのシステムはたった一つの原理だけで構成されることはありえない、ということであると思われる。

弁証法などという考え方が昔流行ったが、あのような複数の要素間の緊張関係を利用して論を展開することであらゆることが説明できるかのように見えるのも、こうした事実性に基づいている。ただ、例えばヘーゲルの弁証法の場合、緊張関係(矛盾)の構成の仕方が単にNegativだっただけでなく、「反省的」なもの(後付け的)であったために、恣意的な関係付けが幾らでも可能だったことに問題がある。(克服する方向性は複数あるが、いずれも「完全」ではない。ついでに言えば、そのこと自体も一つのシステムであって、一つにはまとまらないということだろう。)

いすれにせよ、常に組織には利潤という目的に向けて最適化されていない要素があるのだから、その部分のコストを減らす可能性は常にあるという指摘は妥当なものだろう。

そこから、著者はコスト削減の努力は常に続ける必要性を導いている。これも企業経営に限定している点には注意が必要である。この限定があるからこの命題は正しいものでありうる。経済主体の種類が変われば、常に妥当するわけではない。

家計や財政がそれであろう。家計は確かに無駄遣いはしない方がいいとは言えるかもしれない。しかし、常に無駄な支出をしないというのは、常に望ましいとはいえない。すべての家計が無駄な支出をしなければ、必然的に消費の総量が減少し、生産過剰に陥る。それを輸出に回せれば良いが、それが安定している保障はない。当然に輸出異存経済構造となり、それは不安定性を帯びる。不安定性ゆえに、経済が悪化すると失業が出て家計の支出の最適化どころではなくなる。個人的なレベルで見てもすべての無駄を排した生活というのはあまりに味気ないものであろう。いずれの側面から見ても適度に無駄が必要なのだ。(この表現では、もちろん、厳密に言えば、何が適度で何が無駄かという問題は残る。しかし、複数の原理を適用してバランスさせるべきだということを言いたいので、この表現で良しとする。)

財政については多くの人が誤解をしているように思われる。「増税する前に無駄をなくせ」と日本では誰もが口を揃える。しかし、本書の筆者が言うように、無駄がなくなることはありえない。単に負担の先延ばしのための言説なのである。

その上、財政の役割は企業の役割とは大きく異なる点がある。生活の最低限度を保障するという役割である。これは効率性だけを追及していると必ずそこから漏れる者がでてくる。その意味で多少の余裕をもった制度設計が必要だと思われる。つまり、厳密に最低限度を守ろうとしても、そこから滑り落ちるものが多く出るので、最低限度よりもやや上のレベルで何重かのセーフティネットをかけておく必要がある。リダンダントな要素がある方が行政組織は良い部分もある。この冗長性の必要性は、家計における多少の遊び(=適度の無駄)の存在と符合する構成原理の複数性の要請なのである。

本書が主張するところでは、コスト削減は現状の把握から始まる。それは財政の場合でもあてはまる。粗雑な議論・検証では、何が無駄で何が無駄でないかは把握できない。政治性を抜きにした(極力排した仕方で)検証がなされなければならないだろう。

ここで財政を取り上げたのは、次のことを言うためである。すなわち、財政に関して「無駄をなくせ」の一点張りの主張は、終わりなき先送りにすぎない。予算に対する効果の非政治的な検証が必要であり、その上で必要な歳出に見合った税制の構築がなされるべきである。

もうひとつ指摘すると、経営は利益が上がるところがあれば、今まで行ってきた事業を捨ててもそちらに行くことができないことはないが、家計や財政ではそうもいかない、という違いは経済主体として非常に異なっている、という認識をもつことは重要だろう。本書を通して、私が感じた違和感はこうしたところにある。本書の内容は大部分正しく、参考になるのだが、その他の経済主体には当てはまらない部分もあるからだ。

すべての経済主体を企業であるかのように見なす風潮が特に小泉政権以後広まってしまったので、その意味で、本書の見方には一定の距離を置いて冷静に見てしまうところがある。本書は基本的に企業での仕事のためのコスト削減術だということはしっかり押さえて読みたいところだ。(本書の著者は行政のコスト削減にも言及している。8割がたは使えるが、財政の分野に使えるかとなると微妙なものも結構多い。)




 コスト削減とは単なる「ケチケチ運動」ではなく、本来的には、先に述べましたが「経営」と「現場」のすき間を継続して埋めていく作業であり、運動です。(p.66)



本書の主要な主張の一つがこれである。大変有意義な考え方である。正確な現状認識を経営と現場で共有することによって、現場が経営の見方に近づく。それによって現場でしか知りえない知見がコスト削減に活用される。




 コスト削減の活動が継続しない理由はたった一つです。
 P(プラン=コスト削減の計画を立てる)⇒D(ドゥ=削減計画を実行に移す)⇒C(チェック=実行の結果を検証する)⇒A(アクション=検証結果を基に改善を行う)、このP⇒D⇒C⇒Aサイクルが多くの場合1回まわる前にCの効果の検証がなされないままに終わってしまったり、いったんは次なるAである改善まで行きつくものの、改善の結果の検証までは行われないままにサイクルが終わってしまうケースが大半だからです。(p.72)



このチェックと改善を続けるというのは非常に重要で忘れがちなことであると思われる。参考になった。

このチェックもまた現状認識という意味では、現状の正確な把握からすべては始まる、と言える。




 できるだけ安く仕入れるため、サプライヤー各社に問い、競わせるのではなく、「消費者がこのような満足を得られる製品(服)を、この価格で提供するためには、どんなデザインにして、どのような素材を、どのタイミングで、どれくらいの量を発注すればいいか」を、限られたサプライヤーと一緒になって二人三脚で考え抜くというのです。(p.114)



こうしてコスト削減したという事例なのだが、「何でもかんでも多くの取引先を集めて競争させればいい」というやり方ではうまく行かない分野(ケース)があり、むしろこうしたやり方の方がいいことがある、ということ。

私見では、行政などの継続的で安定的な活動が要求されるようなものの場合、こうしたやり方の方が「競争入札」よりもトータルでは優れたものになりうると見ている。
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