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アヴェスターにはこう書いている?
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フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その8)
『第三巻 世界時間』 邦訳第二分冊より

 ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジアは相互補完的だと言われている。・・・(中略)・・・。極東は大掴みに言ってヨーロッパの産物を熱狂的に迎え入れたりはしなかった。・・・(中略)・・・。例外は、貴金属、金(コロマンデル海岸では金が好まれた)、そしてとりわけ銀であった。とりわけ中国とインドとは、すでに何度となく語られてきたとおり、全世界を流通する貴金属のための墳墓となった。金銀はこの両国に入ったきり、もう出て行かなかった。この奇妙な常数ゆえに、西ヨーロッパから発して東方へ向かう貴金属の出血は決定的な役割を果たした。ヨーロッパはこの点でアジアよりも弱かったと考えたがる向きもあるが、わたしはというと、すでに語ったとおり、ヨーロッパ人はこれをしばしば手段にしたのだと見ている。つまりアジアばかりか他の土地、さらにヨーロッパ内部においてさえも、金銀を梃子にして、とりわけ利益の高い市場を開かせたのである。(p.143)



私にとってもこの「常数」の意味は極めて問題となるところである。この点ではブローデルの見方には私は必ずしも与しない。確かに概ね1800年以降の世界について言えば、ヨーロッパの優位は動かなくなったが、それ以前においては、基本的にインドと中国は優位だったと見るほうが理に適っている。

ただ、ブローデル自身が指摘するような仕方でヨーロッパの大商人たち(東インド会社など)は、現地の経済を掌握している大商人から収奪する仕組みを(武力・暴力を使いながら)獲得したことによって、16~18世紀の間に、この構造(常数)の意味が逆転したのではなかろうか。

形式上は常数なのだが、実はこの「金銀の流れ」という常に見られた動きの意味は、時代と共に変化したのではなかろうか。これが私の現時点での見解である。

A.G.フランクの『リオリエント』を読んだ時点では、フランクの考えにも同調しているが、ヨーロッパの「資本主義」が、どのようにアジアを収奪していったかについてのブローデルの説明(以下にも引用する)を理解し、それに同意していく過程でやや考えが具体化してきた。




 ヨーロッパ商人は、寄生生物が異体に足がかりをつくるように地歩を占めてゆき、イギリスによる征服が行われるまでは(東南アジアの一部地帯におけるオランダの成功は別として)各地で点を占拠するに留まっていた。・・・(中略)・・・。
 ・・・(中略)・・・。実を言うとアジアにおけるヨーロッパ諸国の≪海外支店≫は、二、三の例を挙げれば、ハンザ同盟やバルト海および北海で活躍したオランダ人の海外支店とか、ビザンツ帝国のあちこちにできたヴェネツィアおよびジェノヴァの海外支店も同様だが、無害だったとはいえない。ヨーロッパは、アジアにいくつもの小さい集団、目にも留まらぬ少数の人々を配置した。それはそうだが、彼らは西ヨーロッパのもっとも先進的な資本主義と連携していた。そしてこれらの少数の人々が――彼らは≪脆弱さを内包させた上部構造≫を構成していただけだと言われもしたが――出会った相手はアジアの大衆ではなくて、極東の商取引および交換を支配していた別の少数の商人たちだったのである。そして、まさしくこれら現地の少数の商人が、いくらかは強制されて、またいくらかは納得づくで、ヨーロッパ人のインド闖入に道を切り開いたのであり、まずポルトガル人に、ついでオランダ人に、しまいにはイギリス人に(そしてフランス人、デンマーク人、スウェーデン人にさえ)、インド域内通商という迷路を辿る法を教えたのであった。それ以来ひとつの過程が始まって、この過程が進むにつれて、早くも十八世紀末にならないうちに、インドの対外通商の85ないし90パーセントをイギリスの独占に委ねることとなった。しかし、極東内部の参入しやすい市場がまとまりのある一連の経済を作り上げて、ひとつの能率的な世界=経済によって連携していたからこそ、ヨーロッパの商業資本主義はこれらに投資することができたのであり、そしてそれらに備わっていた力を利用しながらこれを巧みに操縦して、利益を得たのであった。(p.149-150)



ヨーロッパの資本主義が「先進的」だったかどうかといった細部の表現には大いに疑義があるにせよ、ヨーロッパの遠隔地商人(ブローデル的な資本主義の担い手)がインドを目指し、そこで交渉した相手が現地の大商人であり、その大商人たちはすでに形成され、効率的に機能していたインド洋周辺の世界=経済からの利益を収奪できる立場の人間であったことを指摘し、その少数者から半強制的に富を引き出すことができたことによって、インドの経済からヨーロッパの大商人たちが多大な富を引き出し得たという点は極めて重要であると思われる。

アレクサンダー大王がアケメネス朝の支配機構をそのまま維持しながら一時的にその全領域の支配者となったのとある意味では同じ仕組みと言えるかもしれない。

ただ、次に引用するように、インドが強力だったためにそこに入り込めなかったオランダが先に東南アジアの経済体制を搾取可能なように改変してしまっており、それがインド経済の弱体化に繋がっていたために、イギリスが進出する時には入り込みやすかったという僥倖にも預かったと見るのが妥当なところであろう。決して、この時代(16-18世紀)の「ヨーロッパの実力」を高く見積もりすぎるべきではない。

しかしあらゆることが、中央に位置する世界=経済としてのインドに依存している。あらゆることがインドの自己満足と弱点とに根を下ろしている。ポルトガル人、イギリス人、フランス人はインドから始めた。ただオランダ人だけが例外で、彼らは東南アジア諸島のただなかに腰を据えて、他国よりも早く独占をめざす競争に突入した。しかしオランダ人はこの行動のために、インドに近づいたときには遅きに失していたのではなかろうか。<西欧>から来た闖入者たち、まずムスリム、ついで西洋人たちにとって、結局のところ永続的な大事業はすべてインドに左右される定めにあったのである。(p.152)



オランダもインドに行こうとしなかったわけではなかろう。初めに行こうとしたがポルトガルが既に失敗しており、競争者がいる上にインドの力を目の当たりにしたために、代わりに東南アジアに向かったというのが大きな流れではなかろうか。そして、そこで「独占体制」を構築して東南アジアのモノカルチャー化が進んだ。

こうしてインドと中国を中継していた経済の仕組みが大きく変わり、インドと東南アジアとの物流に変化が生じた。そのため、新たな取引先や取引のあり方の模索がインドでなされた。そこにいたアクターの一つがヨーロッパの遠隔地貿易商だった、という流れではなかろうか。そして、この貿易商の軍事力はそれなりに強力であると同時に、アフリカ、アメリカ大陸という後背地があるために、資源も持っていた、と。




 天文学者の語彙から借用した≪revolution≫という単語を、既存の社会を転覆させ、破壊する意味で用いた例は、英語では1688年に初めて表れたらしい。(p.206)



意外と新しい語なわけだ。




なんらかの革命過程と取り組むときかならず問題となるのは、長期と短期とを突き合わせ、両者が類縁を有し、引き離しがたく依存しあっているのを認めることである。(p.206)



ブローデルらしい方法であり、実際に、変化を考察するときに参考になるやり方だと思われる。




 要するに成長が要求するのは分野相互間の協調である。つまり、ある分野が推進力となって前進するとき、別の分野が動かないために全体を閉塞させるようなことがあってはならない。(p.211)



この前後の叙述からは大いにインスピレーションを得た。

成長なり発展なり、何と言おうが、そうした類の変化を理解する際にオートポイエーシスのシステム論が有効だということをはっきりと理解した。

ブローデルは「分野」相互間の協調と言っているが、特定の幅を持つ「分野」である必要は必ずしもない。「産出プロセスと構成素との循環」が止まらないこと、阻害されないことがシステムを成立させ続け、創発が持続するために必要なのだ。




 結局、市場経済と資本主義とを明瞭に区別して、政治家たちがいつも決まってわれわれに言い出す≪すべてか、しからずんば無≫を回避すべきではなかろうか。彼らの意見を聞いていると、まるで市場経済を保全したければ独占にいっさいの自由を許さざるをえず、それともそれらの独占を厄介払いしたければ精一杯≪国有化≫せざるをえないかのようだが。(p.332)



ブローデルの本書の結論部分での言葉である。まさに現在の日本に必要な言説である。市場原理主義やとにかく競争を導入することでその分野が活性化するという幻想がマスメディアを使って垂れ流され、すでに多くの人が何となくそう思ってしまっている。

それを否定すると、ソ連のような「計画経済」しかないかのような発言まで飛び出してくる。ネットでもメディア(テレビ等)でもこれは見られる。

しかし、完全に「市場原理」を実地に適用しようとすることと、完全な「計画経済」との間には様々なバリエーションがあるし、すべてがこの中間に納まるというものでもない。全く別の軸というものも考えうる。ブローデルの「資本主義」は一言で言えば、「それが権力を利用することを視野に入れた寡占」であると思うが、われわれが目指すべきはブローデルの言う意味での「資本主義」を極力抑制しながら(これがなくなることはない)、できる限りブローデルの言う意味での「市場」の活動領域を確保することであろう。

それは計画経済からは全く程遠いものだが、市場原理主義からも同じくらい遠い。これらの両極とは異なる位相にある(これらの対立軸自体に混乱があり、歪んでいる)のだと私は考える。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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