FC2ブログ
アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その7)
『第三巻 世界時間』 邦訳第一分冊の続き

 しかし、こうして長いあいだ躍起になって戦闘を重ねることができたのは――そのたびごとに負傷も痛手もおのずと治ったかのようで、じつのところ致命的な結果にはいたらなかった――繁栄が続いて実業が上げ潮に向かっていたからではあるまいか。ところがキオッジャの戦争が区切りとなったのは、おりしも1380年代に、長期にわたって躍進を続けてきた成長が閉塞し、それがこんどは決定的終止符となったからではなかろうか。(p.145)



上昇気流に乗っているときの戦争と下降局面に乗っているときの戦争は、その国にとっての意味が決定的に異なってくるという見本。下降局面の日本が戦争に巻き込まれることはこうした「決定的終止符」を打たれることになるだろう。

それは一つには財政破綻という形で表れると思われる。既にかなりの国債が発行されているが、それを十分に減らすことなく戦争に巻き込まれれば、平時よりも遥かに大量の国債を発行しなければならなくなり、財政が耐え切れなくなる(国債の買い手が見つからなくなる)という形である。




かつてヴェネツィア商人は、イスラム諸国で活動したとき、≪fondouks≫(一街路または一連の建物)に閉じ込められて苦労しなければならなかった。ヴェネツィアはイスラムのその方法をこんどは自分のために取り入れた。ヴェネツィアは同じ手を使って、その商業中心地のリアルト橋の向かいに、ドイツ人商人を強制的に集めて分離する地点として≪ドイツ商館(フォンダコ・デイ・テデスキ)≫を創設した。ドイツ人商人はだれでも、そこに商品を下ろし、そのために用意した部屋のひとつに宿泊し、共和国政庁の役人のこうるさい監督のもとでそこで商品を売り、その売り上げをヴェネツィア商品の買い入れに使わなくてはならなかった。ドイツ人商人はこの窮屈な従属について絶えず苦情を申し立てていた。こうした仕掛けで、大規模な遠隔地通商から排除されていたからである。ヴェネツィアはこの遠隔地通商を、油断怠りなく自国の≪citadini, de intus et extra≫[城壁内外の市民]のためにとっておいた。ドイツ人がそこに割り込もうものなら、彼の商品は没収されることになっていた。(p.154-155)



イスラーム世界にはフンドゥクの遺跡が残っていたり、今でも使われていたりもするが、このようなシステムで運営されていたという話は聞いたことがなかった。(私の無知ゆえか?それとも近年の研究成果ではブローデルのような見方は否定されているのか?)

むしろ、私としては、フンドゥクは、通商の際の中継点であり、かつ、そこでも交換が行われる場所として肯定的に捉えていたところがある。しかし、このようなブローデルの言う意味での「資本主義」のシステムの一部としても機能していたらしいということを頭の片隅に入れておくのは意味がある。次にイスラーム世界について調べる際には、フンドゥクの果たした機能についても着目してみたい。




しかしながら、自分を大切にする世界=経済の中心はすべてそうだが、オランダ連邦は戦争を国内から遠ざけつづけていた。(p.257)



これと類似の指摘はウォーラーステインもしている。ヘゲモニー国家は武力の力なしで他の諸国を従わせることができ、戦争と言う形を取るときでも、決して自国の領土内では戦争しないですむようにする。20世紀のアメリカは世界各地で戦争をしてきたが、本土が直接攻撃されたことはないのはその例だ。

これこそ政治の力であり外交の力であろう。

その意味では、近年の日本における防衛力が必要だという議論は、日本の地位の相対的低下と連動している。現代は昔と違ってミサイルがある点が異なる。しかし、通常兵力では日本を侵略できるような国はアメリカ以外にはない。

中国も韓国もましてや北朝鮮も日本を通常兵器で侵略することはできない。まともに戦力を分析すればそうなるのだが、それにも関わらずバカ派が増えている現状は極めて不健全な言論状況である。

むしろ、日本に不足しているのは――軍事力・防衛力ではなく――上記のような政治の力であり外交の力なのである。




つまり、世界=経済の中心に位置する都市はすべて、システムの定期的な地震を真っ先に呼び起こし、そのあとで真っ先にそれから完全に回復する、という通則である。そう考えれば、あの1929年のウォール街の暗い木曜日も別の目で考察できよう。わたしの考えでは、あの木曜日は、じつはニューヨークの優位の発端の目印をなしているのである。(p.354)



前段の通則は、世界システム論などに慣れた思考からすると、比較的常識的な枠内の議論だが、後半の適用例はなかなか興味深い見方ではある。

いずれにせよ、一つの事件が起きた場合、複合状況(コンジョンクチュール)がその地域に有利かどうかによって、その意味やその後の進路は大いに違ってくるというのが基本にある。その意味で、今の日本は非常にコンジョンクチュールの状況は良くないと言える。

経済力は世界の中で相対的に高いためにある程度の防御力はあるだろうが、例えば、世界のどこかで株価の暴落が起こるようなことがあれば、痛手を被りやすい趨勢にあるのは確かだろう。郵政民営化によって丸裸にされた財政が多額の赤字を抱えているのは、既に爆弾を抱えているようなところがあるのだから。
スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/151-2e55a15c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)