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アヴェスターにはこう書いている?
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フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その6)
『第三巻 世界時間』 邦訳第一分冊の続き

 1421年、明朝は遷都した。それまでの南京は青河[揚子江]が海上航行に最適だったがゆえに開かれた都市であったが、これを捨てて、満州族・蒙古族との国境に迫った危難に立ち向かうべく北京に都を定めたのである。――膨大な中国は堂々たる一大世界=経済であったが、このとき取り返しのつかぬどんでん返しを遂げて、海上通商の便宜を得やすかった、それなりの経済および行動に背を向けたのであった。新しい首都は、外界に対して耳を塞ぎ、城壁内に立てこもり、大陸のただなかに根を下ろし、一切を自分のほうへ引き寄せようとした。自覚の有無にかかわらず、たしかに決定的な選択であった。中国はさきに十五世紀初頭、南京から船出して海洋探検に打って出たとき、はっきりそうと自覚しないまま世界の支配権をめぐる競争に加わっていたものを、この遷都とともに勝負に敗れてしまったのである。(p.25-26)



明朝の内向化というか、海への志向が内陸志向的なシフトはしばしば指摘される。この現象について、なぜそのような政策決定がなされたのか、はっきりした文書に出会ったことはない。ブローデルもそれがもたらした効果については妥当な指摘をしているが、やはりなぜそうした決定がなされたのかは語っていない。私としてはそのあたりに興味があるところだ。

既に衰退していたために外洋に出て行くだけの力を失っていたという説もあったが、どうもそこまで弱体化してはいなかったようだ、という見方も強い。この時代(14~15世紀)の明の社会経済情勢について、少し調べてみると面白いかもしれない。




 成功か失敗か、天下分け目のこうした地滑りが生ずるたびに、まったくの転覆という結末を見るのであった。ある世界=経済の首都が倒れると、強烈な振動がはるか遠方の周辺にまで波及して、そこに刻印を残すのであった。なおそのたびに、これらの縁辺地帯――まことの、あるいは擬似的な植民地をなしていた――においてこそ、雄弁このうえない光景が現出しがちであった。・・・(中略)・・・。こうして、つぎからつぎと植民地が手放されたのは偶然の出来事ではない。従属を繋ぎとめていた鎖が切れてしまったのである。今日、≪アメリカの≫覇権の終焉がこようものなら、全世界にどのような影響が波及してゆくことになるのかと想像するのは、ほんとうに困難なことであろうか。(p.27-29)



1979年に出た本書の観点からすると、植民地が手放されることや、アメリカの覇権の終焉というのは、60年代のアフリカ諸国のヨーロッパ諸国からの独立であったり、ベトナム戦争でのアメリカの実質的敗退などを背景にして述べられているものと思われる。

2007年の読者から見ると、アメリカの覇権の衰退は、さらに広がったのを見ることができる。中南米や中東の反米化という形でそれは表れており、また、極東では六カ国協議の大部分を中国に仕切らせていることなど、世界全体におけるアメリカの求心力が低下していることが随所に見て取れる。

それによって、アメリカを中心として結びついていたアクターたちが、それぞれの間でつながりを強め始めている。つまり、ネットワークとしてはツリー状のネットワークからスモールワールド的なネットワークへの移行が見られるように思われる。




「世界の商業は、そのあらゆる部分がじつに緊密に関連しているので、どれか一部分を知らないとほかの諸部分のこともよくわからなくなる。」(p.31)



孫引きだが、全くその通りである。




なおまた、下り坂はすべて保守的な性質を有する。それは現存制度を保護する。・・・(中略)・・・
 下り坂が長期にわたって、執拗に続くと、風景に変化が見られる。健康の優れた経済が残っているのは、ほとんど世界=経済の中心地くらいのものである。後退が生じ、集中化によって、唯一の極点だけが利益を収める。諸国家は牙をむきだし、攻撃的になる。・・・(中略)・・・。ところがそういう時期には、文化はこのうえなく奇妙な振る舞いに出る。こうした長期にわたる干潮時に文化が強く活動するのは(国家も同様だが)、それはおそらく文化の使命のひとつが社会総体にできた隙間や割れ目を塞ぐことにあるからである。(p.100-101)



まさに今の日本で起こっている現象である。前半部分は前のエントリーで述べた通りなので、ここでは特にコメントしないが、後半はブローデルの経済と文化の関係についての見解がよく出ている箇所だと思われる。

私見では、経済が繁栄している真っ最中にも文化は繁栄すると考えており、ブローデルとはやや見解が異なるが、経済的なピークを過ぎてから「文化」が前面に出てくることはあり、その際の目的が、その社会をまとめようとするところにあるという点には大いに賛成できる。

経済がピークにあるところで文化的活動が発達するのは、美術品の流れなどを見れば分かるように思われる。20世紀にフランスやイギリスなどヨーロッパ諸国からアメリカに美術作品が流出したのは、経済力の差が磁力となったからである。

また、経済の衰退局面で文化が前面に出てくるとき、社会を結合させようとするというのは、近年の日本のナショナリズムの高まりと一致する。

また、興味深いのは日本のサブカルチャーや食文化が、世界的にある程度認知されるようになってきたことであるが、これはブローデルが言っているようなものではなく、モノを売ることが相対的に難しくなってきたので、それ以外のもので勝負するなど「商売の論理」に基づくものだと思われる。(台湾の哈日現象などを見てもそれは感じられる。)
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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