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アヴェスターにはこう書いている?
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フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その5)
『第三巻 世界時間』 邦訳第一分冊より

しかし、大都市に中小都市を破壊できるわけがなかった。隷従はさせた。それはそうだが、それ以上のことはできなかった。それというのも、中小都市からの奉仕を必要としていたからである。世界=都市が高い生活水準に到達してこれを維持してゆくには、望もうと望むまいと他の諸都市を犠牲にするほかなかった。(p.22)



日本で言えば、東京という世界=都市が、そこに住む人間が気づかないとしても、その他の中小都市からの奉仕を必要としているという事情に該当する。

ネットワーク理論的に言えば、これらの「世界=都市」はスケールフリー・ネットワークにおけるハブに相当すると考えられる。ハブは当然に、リンク先としてのノードを必要とする。諸ノードからリンクを貼られなければ、それはハブではなくなる。逆に、ハブがなくなればそれに依存しているノードは孤立しやすくなる。要するに相互依存関係にあるのである。

ウェブサイトなどにおけるモデルと経済におけるモデルには少しばかり違いがあるようにも思われるが、基本的なイメージを捉える上ではそれほど間違ってはいないと思われる。

ブローデルが第三巻第一章で展開している理論的考察は、極めてネットワーク理論と親和的であり、利用価値が高いものと思われる。ブローデルがほとんど無規定的に使用している「世界=都市」という用語も、上記のようにネットワーク理論の「ハブ」に相当する役割を果たしているものと考えられる点にそれは典型的に表れている。




ともあれ、商人が四方八方から集まってくる場所ならどこでも、寛容の奇跡が繰り返されたものなのである。(p.23)



「寛容」な生活態度や政治というものは、ある世界の中で非常に繁栄している場所で見られる傾向がある。17世紀のアムステルダム(オランダ)や19世紀のロンドン、20世紀のニューヨークなどに世界各地から移民(それも比較的恵まれた社会層の移民)が見られるのは偶然ではない。

例えば、フランス語でものを書いたデカルトがオランダに住んだのは偶然ではないし、ナチスドイツの台頭によって亡命したドイツの思想家たちの多くがアメリカに亡命したのも偶然ではない。それらの土地は様々な点で人を受け入れる用意があったのである。

このように「社会経済的な繁栄」と「寛容」というものの高い相関関係を考慮したとき、近年の日本で見られる不寛容ないし排他的な思考・言説(世論)がもつ社会的な意味と言うものも見えてくる。

つまり、それは衰退しつつある社会が必死になって「自分たちの優位」を守ろうとする姿にほかならない。しかし、それは意図して何かを守ろうとするというよりも、衰退の的確な因果関係を捉えていないために、心理的な不安や不満の捌け口を見つけて不寛容になるという形で現象する。

その際の核になっている観念は、近年の日本の場合、「日本」であったり、その「伝統」であったりする。つまり、新保守主義とナショナリズムが渾然一体となりながら台頭してきた背景はこうした衰退過程がある。

80年代に新保守主義的な中曽根が登場したのも70年代の低成長(世界の中で見れば日本は幸運な地域ではあったが)があり、その勢力が拡大しつある状態の中で、90年代の長期不況が続いてきた。そこに現在の保守的言説の直接的な下地が作られたと言ってよいだろう。なお、ちょうどその時期は、安倍晋三という政治家が政治家としての歩みを始めた時期であることにも注目したい。

このような意味では世界の中における日本の相対的な衰退過程を止めるか、その原因を大衆が把握することが、近年の保守的でナショナリスティックな言説を止めるために必要だと私は考えてきた。

ところが、第一の課題は世界経済の長期持続や中期的趨勢から見て、達成が困難であると思われる。

というのは、日本という本来ならばそれほど世界経済の中で強い位置につけないはずの地域がGDPで第二位であるという状況を後押ししてきた構造は既に崩れているからである。

どういうことか?冷戦構造において東西世界の境界にあり、かつ、西側世界の中心であるアメリカにも隣接しているという地政学的な優位性――同じ境界でもアメリカに隣接していなかった中東やインドと日本との違いはここにある――が、日本という小さな島国を世界的なレベルに押し上げてきた最大の要因であった。

しかし、冷戦構造が崩れた結果、西側世界から見ると市場が地球規模に拡大したため、世界規模での垂直的分業体制が劇的に変化してきた。これは当然、従来特別に有利な立場にあった日本の優位性が失われることを意味する。日本の相対的な経済的地位はこの17年で相当に低下したはずである。この衰退がどこまで続くのか、この点に今後の日本社会のあり方を規定する重要な要因がある。

どの程度の低下で済ますことができるかという点に関して、個々の企業の活動の他に政治が果たすことができる領分がいくらか残っている。政治は万能ではない。しかし、いくらかのことは可能である。しかし、日本の政治が保守化することによって、その道は次第に狭まってきている。特に、復古主義的な安倍政権になってからは顕著だと言える。排外主義は敵を作る。敵ができるということは、ネットワーク理論的に言えば、例えば、人脈や情報などを共有することができるリンクが減ることを意味する。

世界経済の中で相対的に優位を確保するためには、その主体(ノード)よりも、勢力の弱いノードの力を自分のために利用することが必要になる。そこから力を引き出す必要がある。今の日本はそれに逆行している。

基本的な衰退要因はここにあるのだが、日本という社会的ネットワークにおけるハブの位置にあるのは、こうした条件を破壊しようとする勢力が大部分になってしまっており、そこから流される情報が一般に流布することになる。そのため、衰退の要因が的確に把握されることもない。

おおよそのところ、日本を取り巻く情勢は、こうした趨勢にあると私は見ている。不寛容な言説の横行は、結果的な現象でしかないが、そうした心理を転換させるようなパースペクティブを提示することによって、多少なりともそれを減少させるように努めるのが、そのことに気づいた人間が果たすべきことなのかもしれない。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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