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アヴェスターにはこう書いている?
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フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その3)
『第二巻 交換のはたらき』(邦訳第一分冊)より

 エティエンヌ・バラーシュは、このような大型の市や例外的な規模の大市は、とくに中国が異王朝の間に分割されている時期に出現すると考えていた。それぞれの領土は、必然的にたがいに対して開かれねばならないので、大市と大型の市が、中世ヨーロッパにおいておそらく似たような理由でそうしたように、多数出現する。しかし、中国がふたたび政治的統一を形成し、そしてその官僚機構と市の有効な階層制(ヒエラルヒー)が復活すると、大市は領土では消滅するのである。それはただ外国との国境においてのみ保持される。・・・(中略)・・・。最後に挙げれば、十八世紀に広東はヨーロッパ人との通商に対応するために二つの大市を持っていた。多かれ少なかれ国際商業に開かれた他の大きな海港(寧波・厦門)同様、広東は、当時、年に一度ないし数度の商業の「季節」を迎えるのであった。それはイスラム世界やインドにおいてのように自由な大邂逅の場ではなかった。大市は、中国では限られた現象にとどまり、いくつかの特定の取引とりわけ外国通商にのみ向けられていた。(p.150-151)



中国における大市の位置づけ。




 実際、この語(引用者注;資本主義という語)が社会主義の自明の反義語として、政治的議論のなかから激しい勢いで浮かび上がって来るのは、やっと今世紀初頭のことなのである。この語は、W.ゾンバルトの大反響を呼んだ名著『近代資本主義』Der moderne Kapitalismus(初版1902年)によって学会に登場させられた。マルクスによって用いられたことのないこの語は、まるで当然のようにマルクス主義の図式のなかに組み入れられ、『資本論』の著者が区分した三つの大きな発展段階を一般に奴隷制・封建制・資本主義と呼ぶところまで行くのである。
 したがって、これは一つの政治的な単語である。この語の運命の多義的な側面は、たぶんそこから来ている。(p.296-297)



今ではすでに死語になりつつある「資本主義」という語であるが、それがこのように短命であることも、それが「政治的な単語」なるがゆえであろう。

しかし、政治的な単語であるが故に、再び用いることもできないことはないだろう。ブローデルによる市場と資本主義の対立的図式は、市場を純粋に経済的な抽象概念として残した上で、政治や社会的な要素を特に力関係の形で経済の分析に導入するものであり、現在の社会のあり方を分析する上でも有効である。

おおよそ、近年の日本で競争することや規制緩和が推奨されるとき、それはブローデルの「市場」を想像させる。しかし、それが実現されるものはブローデルのいう「資本主義」の純粋型に近いものになる。その意味で、近年のネオリベラリズムは市場原理主義と言われるが、ブローデル的な意味では「反・市場」のイデオロギーであり、「資本主義」のイデオロギーである。

ネオリベが資本主義だというのは、自然に聞こえるが、それが「反・市場」であると言えば、違和感を感じる人が多いに違いない。それを的確に示しているところがブローデルの分析の優れたところであると言える。

ネオリベのイデオロギーは、「公平で公正で透明な市場」という幻想を振りまきながら、「特権階層による支配」を徹底するのである。特に後者の点においてネオコンとネオリベは一致する。
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