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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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石毛直道 『世界の食べもの 食の文化地理』(その2)

 箸と匙を使用して食事をする風習は、戦国時代ごろらおこなわれるようになった。古くは匙で副食ばかりではなく飯も食べていたものが、明代から飯、副食物を箸で食べ、匙はスープ類専用の道具として使用するようになった。箸をつかう習慣は、ヴェトナム、朝鮮半島、日本でも採用されたが、現在のヴェトナムは中国式に箸、匙をつかいわけ、朝鮮半島では中国の古い習慣を残して飯も匙で食べ、椀が汁物の容器として発達した日本は、箸だけで食事をする。
 箸を使用することから椀形の食器がよくもちいられるようになった。中国は陶磁器の生産技術が発達した国であるので、陶器、磁器の食器が世界のなかでいち早く普及した。
 昔は一人前ずつ食物を盛りわけ、膳状あるいはランチョンマットのような食卓に並べて、床のうえに座って食事をしたもののようである。その食事方法は朝鮮半島や日本にうけつがれた。宋代に椅子、テーブルの生活が普及することによって、飯とスープは個人専用の椀に盛るが、副食物はおおきな共用の食器にいれて、直箸でつつき合う配膳法に変化したものであろう。(p.66)


食べ物だけでなく食器や作法などの歴史もなかなか面白そうである。



 ミクロネシアでは、日本の統治時代に島民が米の味を覚え、現在ではタロイモやパンノキの実の主食よりも、金さえあれば輸入米を買って食べることのほうが上等であるとされている。また、オセアニアのどこでも街ではパンが売られている。(p.125)


植民地支配の影響は食生活という身近なところにもかなり強く残るものがあるようだ。



酢を利用して酸っぱい味つけをしたすし飯を材料にした食べ物すべてが、すしであるということになったのだ。古代の保存食品は、インスタント食品に変化したのである。
 すし屋は客の顔をみてからつくりはじめ、一分もしないうちにすしを供してくれる。このような即席のスナック食は、人びとが忙しく働く都市の生活様式にあうものとして歓迎された。19世紀初頭の江戸の街には、一町内に一軒以上のすし屋があったといわれる。(p.161)


寿司は、古代のなれずし(飯は食べない)から始まり、漬ける時間が短い「生なれ」になって飯を食べるようになることでスナック食となった後、上記のような変化を遂げてきた。本書の最初の原稿が書かれたのは80年代頃であり、まだ回転寿司はなかった。回転寿司ではさらにインスタントというかスナック食というか、そうした性格が前面に出ているように思われる。



 激辛はその味が好きだということよりも、それほどまでに辛いものを食べたという話題を提供するために食べられているふしがある。つまり、食の本質にかかわる部分ではなく、食にまつわる情報として激辛がもてはやされるのであり、これも「食のファッション化」を象徴する現象としてとらえられる。(p.203)


80年代頃に流行した「エスニック料理」や「激辛ブーム」についての批評だが、現在でもこの傾向は大きく変わっていないように思われる。



 江戸=東京を起源地とする握りずしが全国制覇をしたのは、20世紀になってからのことである。とくに、外食での米の使用が認められなかった戦中・戦後の食糧難時代の統制経済のもとで、現在の握りずし全盛時代の基礎ができたのである。その頃、すし屋に米をもってゆき、加工賃を支払うと、握りずし五個と巻きずし五切れを一人前として交換するという政令が施行された。東京のすしを基準につくられたこの法律のために、全国のすし屋が握りずしをつくるようになったのである。(p.216)


現在からは想像も出来ないような経緯であり、興味深い。

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