FC2ブログ
アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

石毛直道 『世界の食べもの 食の文化地理』(その1)

 搗き餅つくりは、西南中国の少数民族と、それに接するインドシナ半島山岳部、朝鮮半島、日本に分布するが、これらの地域は中国文明の辺境地帯にあたる。華北平野で本格的なコムギ栽培が導入されてのち、石臼とともに粉食文化がひろがり、餅つくりの方法が搗き餅から粢餅に変化したのではないかと考えられる。この仮説にしたがえば、中国の影響がつよかった沖縄をのぞく日本には、古い文化である搗き餅の伝統が残り、朝鮮半島は粢餅と搗き餅が共存する場所となった、ということになる。(p.34)


文化の周辺地帯で古い文化が残っていくというのは、他の様々なもので見られる現象であり、餅の作り方についても残っている地域などから見ても、妥当な仮説であると思える。



 日本の伝統的製麺技術には、ネンミョンのように押し出してつくる製麺法はなかった。いっぽう、朝鮮半島にはそうめんづくりの技術が欠如していた。練りあげた小麦粉を一本の長い紐にして、二本の竿のあいだにかけて引きのばすのが、そうめんづくりの原理である。そうめんは中国南部に発達した製麺法である。それぞれの民族の地理的位置が、中国に起源する麺づくり技術の導入のちがいとなったものだろう。(p.36)


日本に対する中国からの影響を見る時、地図で見ると一見遠く見える割には中国南部からの影響は意外と多いように思う。



 さきにのべたように、18世紀後半にトウガラシが普及することによって、現在のようなキムチができあがったのである。トウガラシの普及以前には、キムチに辛い味をつける材料としては、サンショウがもちいられていた。(p.43)


山椒で味付けされていたキムチというのがどんな味なのか気になる。四川省の本場の麻婆豆腐のような痺れる感じなのかな、と想像する。



 塩辛は中国の古代の文献にもあらわれ、明代あたりまではよく食べられていたようであるが、中国人の食習慣がしだいに生ものを食べなくなるにつれて衰退し、現在では地方的に限定された食品になってしまった。(p.43)


中国で生ものを食べなくなったのは何故なのかが気になる。



 日本では中世以来マニュファクチャーによる酒造が発展したが、朝鮮半島では酒は家庭でつくるのを基本としたので、産業としての酒造は発達しなかった。そこへ、日本の支配下における酒税法の制定などのできごとがかさなり、自家醸造が密造ということになると、伝統的な酒造りの衰退を経験せざるをえなかった。薬酒にとってかわって日本酒製造の技術でつくられる酒が進出し、単式蒸留法による焼酒が、連続式蒸留法による日本の甲類焼酎の製法に変化したり、ビールがつくられるようになるなどの変化が起こったのである。(p.46)


日本による植民地支配は朝鮮半島の酒造にも大きな影響を及ぼしたことがわかる。日本では中世からマニュファクチャーで酒造していたというが、自家醸造と工場での醸造は、世界の歴史の中ではどのような分布だったのだろう。例えば、イランなどでは現在も酒は公には飲むことができないが、多くの人が自家醸造で作っているというのを現地の人から聞いたことがあるが、こうしたことを多くの人がやっているのも自家醸造の伝統がある程度残っていたからこそできた話であると推測するが、この仮説の真偽を是非調べてみたいところである。



 中国では、唐代(618~907年)から北宋代(960~1127年)にかけて西方から椅子、テーブルの生活が導入され、ひとつの食卓を複数の人びとがかこむ食べ方に変化した。そして、飯と汁は個人別によそわれるが、おかずは共通の食器に箸をのばして食べることになった。また、「時系列型」の配膳法がなされるようになり、宴会などの食事では、時差をもってつぎつぎと料理が配膳されるのである。(p.54)


イスとテーブルの生活は西方のどこ起源なのだろうか。現代の西洋世界から伝わったものとはちょっと思えないところがある。この時代の西欧はかなり文化的には遅れた地域と言うことができ、経済力も技術力もユーラシアの他の地域より劣っていたはずだからである。当時の中東や中央アジアにそうした生活文化があったのだろうか?遊牧民ではなくオアシス都市の住民の生活様式?(現在の彼らの生活様式とは相違があるように思われるが。)



 日本でも奈良・平安時代の貴族の正式の食事には匙がもちいられたが、民衆には普及しなかった。木椀が食器として発達した日本では、椀を口につけて汁を飲むことが作法となったのである。現在の中国では、飯を食べるのに匙をもちいるのは、ポロポロした炒飯や粥を食べるときにかぎられる。しかし明代になるまでは、普通の飯も匙ですくって食べる風習があった。朝鮮半島の食べ方は、この中国の古い食事の方法を伝えるものである。(p.56)


箸、匙、椀の関係はなかなか興味深い。



 食べ残すことは非礼ではない。むしろ、すべてを食べつくすのは「いやしい」とされる場合がある。家庭での伝統的な食事の場合、食べ残すのが礼儀とされていたのである。家長が食べたあと、残ったものに盛りたして男の子たちのグループの食事にまわしたり、家族が食べ残したものにたして使用人の食事にまわすといった、上位の者から下位の者への食べ物の「さげわたし」の風習があったからだ。つぎに食べる者のことを配慮しないで全部食べてしまうことは、貪欲とされたのである。(p.57)


このような作法の地域は世界に今も多いが、その理由が納得できた。

スポンサーサイト




この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/1456-1bb5caa1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)