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アヴェスターにはこう書いている?
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リチャード・セイラー 『行動経済学の逆襲(下)』

どの管理職も、自分が責任を負うことになる結果については損失回避的になる。組織では、人間が生まれながらにして持っている損失回避性が、報酬と懲罰の体系によって悪化することがある。多くの企業では、大きな利益をあげても報酬は小さいが、それと同じ規模の損失を出せばクビが飛ぶ。このような条件だと、最初はリスク中立的で、平均的な利益を見込めるリスクならとりにいこうとする管理職でさえ、やがて非常にリスク回避的になっていく。こうした組織構造は、問題を解決するどころか、いっそうこじらせてしまうのである。(p.28)


個人の資質の問題というより組織の運用のされ方、その運用の蓄積が大きな意味を持ってくる。ここでは企業について述べられているが、行政組織にもこの考え方は当てはまる。

例えば、森友問題の時の佐川元理財局長などは、これが反対方向に作用していることがわかる。どのような不正行為(虚偽答弁)であっても、安倍にとって都合よく振舞えば政権からは利益を保障されるということであれば、リスクを取りに行く(虚偽答弁、誤魔化しの答弁を連発する)。セイラーはこうした損失回避性が強められてしまうことは、組織の問題だと指摘しているが、佐川元理財局長の振る舞いも、内閣がその時の内閣に都合の良いように官僚を処遇できるようになっている組織の問題が大きな背景要因となっていることを理解すべきであろう。まずは、内閣人事局を廃止することが必要だろう。

なお、これは2つ前のエントリー(『ウェーバーとその社会』)で19世紀末から20世紀初頭のドイツの大学に関して私講師法が成立したという話とも共通する問題である。ドイツの大学の教授たちだけでなく私講師にまで政府が人事介入できるようになったという問題だったが、日本の内閣人事局も人事を通じて時の政府に都合の良いものだけに権限や権威を与えていくことで社会を歪めて行こうとする点で全く同じである。



 リスク回避的な部長の例も、23件の投資プロジェクトを実行したくても3件しかできないCEOの話も、プリンシパル=エージェント問題の重要なポイントを雄弁に説明している。経済学の文献では、このような失敗はたいてい、企業の利益を最大化しない意思決定をして、自分の利益を優先させて行動したエージェントに“責任”があるかのように描かれている。組織の厚生ではなく自分の厚生を最大化しているために、まずい意思決定をしているというわけだ。この記述が正しいことも少なからずあるが、多くの場合、真犯人は上司であって、部下ではない
 管理職がリスクをとりにいくようにするには、事前に価値を最大化していた意思決定に報いる環境を整える必要がある。つまり、事後に損失を出すことになったとしても、管理職が意思決定した時点で入手可能な情報に基づいて評価するということだ。こうした政策を実行する障害になるのが、後知恵バイアスである。……(中略)……。この組織では適正なリスクをとることができないと社員が感じられる環境をつくれていないことこそが、問題なのである。(p.32)


後知恵バイアスに打ち勝って事前に入手し得た情報だけで評価するというのは、広く人々に求めていくのは、そのままでは難しいように思う。そのための具体的な仕組みを考える必要があるように思う。



 行動学的な分析が強く求められる重要なマクロ経済政策の1つが、経済を刺激するための減税措置である。……(中略)……。ケインズ型の減税の場合、政策当局は消費行動を最大限に刺激したいと考えるだろう。これについては、合理性の枠組みでは無関係とされているが、政策当局が考慮するべき点がある。減税額を一括して還付するか、1年間にわたって分散させるか、という問題だ。エビデンスに基づく消費者行動のモデルがなければ、この疑問に答えを出すことはできない(私としては、支出を刺激するために減税をするのであれば、減税額の還付を分散させることを勧めたい。還付金が一括して支払われると、貯蓄や借金の返済に回ってしまいやすい)。(p.279-280)


一度このような問題に目が開かれてくると、通常の理論的なマクロ経済学の記述の多くに不満を感じるようになる。例えば、私は本書を読んだ後に、ピケティの初期の本『不平等党再分配の経済学』を読んだのだが、データ重視の『21世紀の資本』と異なり、初期の本では理論的な説明が主体となっているため、この不満を多く感じることになった。経済学では、実際には同じではないものを同じであると勝手に仮定して述べることがいかに多いかを実感した。

(私の個人的な感じとしては、初めて経済学について勉強した際に感じた違和感の正体が、行動経済学を知ってからわかるようになったと思っている。恣意的な強い仮定をおいた杜撰な推論を重ね、数式やグラフを用いることで、その問題点が目立たないように糊塗している議論がいかに多いことか。教科書の記述でさえそうである。)



 減税の呼び名でさえ、意思決定に影響を与えると考えられる。エプリーらは「特別減税」と呼ばれる減税は「戻し減税」と呼ばれる場合よりも消費性向が高くなることを突き止めている(Epley et al.,2006)(p.281)


使われる呼び名が印象だけでなく行動まで大きく変える。

安倍政権がやたらと印象操作的な用語(安保法制ではなく平和安全法制、検察庁法改正ではなく国家公務員法改正など)を多用するのは、明らかにそれが効果的だ(費用対効果がある)からであることが分かる。

呼び名はそれが実態をどの程度反映しているのかをまず確認し、そこからの偏倚によってその呼び名の意図がどこにあるのかを良く考える必要がある。また、邪悪な意図(誤魔化しや虚偽)が疑われる場合、その用語法に(特にメディアは)乗らないようにすることも重要だ。

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