FC2ブログ
アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

田岡俊次 『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』(その5)
中国の軍事費は公表額の2~3倍と言われることがある。本書が指摘するように、これはアメリカが仮想的をでっち上げるために言っているだけであろう。次はそのことに関連する部分。

 だが、これに似たことはほかの国でもよくある。アメリカの沿岸警備隊やヨーロッパ大陸諸国の国境警備隊など、「準軍隊」の経費が国防省予算に入っていない例は多い。日本の海上保安庁は、自衛隊法80条で有事の際には防衛大臣の指揮下に入ることになっているが経費は国土交通省の予算だし、情報収集衛星の打ち上げや管理費は内閣官房の予算に入れている。また旧軍人の恩給は厚生労働省、退職自衛官の年金は国家公務員共済組合の担当だが、他国では国防省の人件費に退役軍人の年金が入っている場合が多い。(p.146)






 外交について「共通の価値観」を唱えるのが近年の流行だが、ポル・ポト派とアメリカ、中国の三者にどんな共通の「価値観」があったのか誰も答えられまい。この時期、米、中はソ連を共通の仮想的とし、ソ連に抱き込まれるかに見えたベトナムを敵視し、ベトナムの敵であるポル・ポトを支援したのであり、「敵の敵は味方」という国際政治の原則通りに行動した。国際政治、国家戦略の目的は一国の安全と経済上の利益であり、「価値観」とか「イデオロギー」「感謝」といった抽象的な単語は意味が乏しいことを示す一例だ。(p.168)



本書は「脱イデオロギー外交」の必要性を主張しているが、同感である。特に安倍政権になってから度を越えてイデオロギー的な言説が公共の言論空間で垂れ流されているのは危険な兆候であると言わねばならない。

それは、複雑な利害関係を的確に見据えて客観的に判断を下さなければならない状況で、自ら目隠ししているのと同じである。




 空軍は維持費が高く、日本では戦闘機の飛行訓練1時間をするのに約200万円(部品、燃料など)がかかる。パイロット一人に年間150時間の訓練をさせるだけで約3億円、1機の戦闘機を維持するには日本では年4~5億円が必要となる。中国が戦闘機1000機の水準を保つには、戦闘機を20年使うとして年平均50機の調達が必要だし、偵察機、早期警戒機、輸送機、練習機、救難ヘリコプターなども不可欠だ。航空自衛隊は戦闘機370機を主体とし、2006年度で1兆1086億円を使っている。中国の人件費、物価が安くても、航空機や部品はそう安くはなりえない。中国空軍が第1線戦闘機1000機の水準を保ち得るか否かについては、疑問の余地は大きい。
 日本では、「中国軍は数は減っているが質は向上している。戦力は数かける質、だから戦力は向上している」と言う人が少なくない。これ自体は間違ってはいないが、軍事力は相対的なものであり、近代化は他国の軍隊にもおおむね共通する要素であることを忘れてはならない。近代化の速度が同じであれば、数が減っただけ相対的に弱くなる。
 仮に1941年の日本連合艦隊と今日の自衛隊が戦うことを想像すれば、今日の方が強い。哨戒機P3Cでも零式戦闘機よりはるかに高速だし、射程120キロの空対艦ミサイル「ハープーン」を持つから、簡単に帝国海軍の空母を処理し、戦艦も潜水艦の誘導魚雷で沈めるだろう。だが、このような非現実的なことを考えても役に立たない。それと同様に、「かつての5000機の中国空軍より今日の中国空軍の方が強くなった」という論は無意味なのだ。客観的に考えれば、日本を含めどの国の空軍も機種改変はするもので、中国に対してのみそれを「軍事力拡大」と非難するのは、航空機が定期的に更新を必要とすることを知る者にとっては、「武装解除を要求しているのか」と苦笑を誘われる。(p.183-184)



まず戦闘機の維持費の高さに少しばかり驚こう。そして、それに年1兆円以上かけているという事実にも。

中国の軍事力拡大への脅威が語られるが、その議論の多くは不自然に膨らまされたものである。その一例が後段で述べられていることである。




 日本では、台湾が独立を宣言したため中国が武力行使に踏み切り、これに対して米国が台湾を支援して介入し、日本は米軍支援を求められるから憲法を改正して「集団的自衛権行使」を可能とすることが必要だ――とする議論が行われている。しかし現実には、台湾が独立を宣言する公算は極めて小さいと考えられる。・・・(中略)・・・。政治、経済、軍事、外交などの面から見ても独立は困難であり、そもそも台湾、中国、米国、日本の関係4者が揃って「現状維持」で利害も意見もほぼ一致しているのに戦争になるとすれば、古今東西の戦史に例を見ない珍事態だ。07年1月11日にネグロポンテ国家情報長官が米上院情報特別委員会に提出した世界の脅威に関する年次報告も、「中台衝突の可能性は低下した」とし、むしろ北朝鮮の核開発によって北東アジアでほかに核武装の動きが出ることに警戒を示している。「ほか」というのは、主に日本のことだ。
 また、日本が「集団的自衛権で台湾を助ける」というのも論理性を欠く説だ。日本もアメリカも台湾を国家として承認していないのだから、万が一中台の武力紛争が起きても、それは内戦にすぎず、内戦への介入が日、米いずれにとっても自衛権行使に当たらないことは言うまでもない。仮に憲法を改正して集団的自衛権行使を認めるとしても、日米安保条約が「日本国の施政の下にある領域における」武力攻撃に共同対処することを定めているのと同様、「アメリカ合衆国の施政の下にある領域」であるグアム、ハワイや米本土が攻撃された際に日本が米国と共同行動をとるなら集団的自衛だが、内乱に介入している他国の軍隊を援助するような行為が集団的自衛であるはずがない。また、「集団的自衛権行使は違憲」との憲法解釈は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(9条1項)に由来する。「日本が攻撃された場合に自衛行動をとるのは、国際紛争解決の手段ではないから、自衛のための武力行使は許される」という論理で、自衛隊の存在は合憲であるとしてきた。憲法とほぼ同じ文言は対日平和条約第5条aのⅡにもあるから、憲法を改正しても他国の領土保全を妨げる武力行使はサンフランシスコ講和条約違反となる。(p.236-238)



台湾問題を口実にして集団的自衛権や憲法改正を論じるのは論理的でないということ。

また、「集団的自衛権を持つが行使できない」という憲法解釈の根拠が9条1項であることにも注目する必要があるだろう。2項ではなく1項は、ほとんど誰も異議を唱えていない条項だから。

そして、軍事的な問題を考えるときには、国内法だけでなく国際法にも目を向けなければならないということも、この引用文は教えてくれる。内向きになった今の日本の世論にそれを期待するのは困難が伴うが、必要なことではあるだろう。
スポンサーサイト




テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/144-3b8507ca
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)