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アヴェスターにはこう書いている?
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吉田徹 『「野党」論――何のためにあるのか』

 政策ではなく、政治として見た場合、新自由主義がもたらした認識上の転換は、革命的なものでした。それは、政府が何をどうするかということを政治の場で問うのではなく、政府それ自体が問題だという視点の転換を行ったからです。(p.107)


確かに、当時、新自由主義を喧伝していた輩が、このような不信感を高めたことの罪は重い。



 この政党交付金は、1994年の政治改革(いわゆる政治改革四法)で導入されたものですが、民進党といった野党第一党でも、その収入の八割は交付金に依存しています(共産党はこれを返納しています)。一定程度の議員を集めておきさえすれば、政党自体を存続させることができますから、二つの政党に完全に絞られるということはまず考えられません。(p.112)


政党交付金は小党が存在することのインセンティブになり得る制度であり、90年代当時から目指されていた二大政党制とは親和性が低い制度という面がある。私としては、二大政党制は日本の政治にとっては良い結果をもたらさないと考えるので、二大政党制を実現すべきだとは全く思わないが、政党交付金にはそれ以外にも様々なデメリットがあると考えるため、こちらも廃止すべきであろう。



実際、事前審査制が1960年代に制度化されてから、国会の本会議の時間は極端に短くなったと指摘されています。つまりは国会審議の空洞化です。
 ですから、国会が揚げ足取りやパフォーマンスの場と化しているのは、野党の姿勢だけではなく、与党の政策形成と決定のあり方にもよるのです。事前審査制を厳密に運用してしまうと、政府と与党が癒着し、これを官僚機構が支える形になります。そこでの調整が済んでしまえば、政権はあとは議会に丸投げするだけで済みます。もし事前審査制を取りやめれば、国会でもっと時間をかけた丁寧な議論が行われる可能性が出てきます。
 端的に言えば、日本の国会における野党には、法案修正権が実質的に与えられていないのです。(p.127-128)


事前審査制や党議拘束というルールはやめてほしい。



 また、国会に付与された重要な権能の一つに「国政調査権」があります。衆参両院が国政に関して調査を行う権能のことで、証人に出頭・証言を求めたり、記録の提出を要求したりできるようになっています。しかし、現状では与党の賛成がなければ、野党は調査権を発動することができません。与野党合わせて三分の一以上の賛成があれば、国政調査権を発動できるといった制度改革が実現すれば、権力に対する野党のチェック機能も大いに高まることでしょう。(p.129)


同意見である。安倍政権のように権力を恣意的に使い、自らに有利な状況を様々に作り出した上で、そのことを国民に知らせないことにより、身内優遇などを批判されることを防ぎ、握った権力から引き剥がされないようにする、ということができているのも、一つには国政調査権が機能できないような制度となっていることが要因となっている。

あとは、内閣人事局に代表されるような公務員制度をやめ、それ以前の状況に戻すことが必要である。さらに、マスコミへの介入なども出来ないような制度的な縛りが必要であろう。



 実際、コーポラティズムの度合いが高ければ高い国ほど、極右ポピュリスト政党が出てきやすいという指摘もあります。(p.182)


なるほど。経済のグローバル化と冷戦後の国際政治の状況などが、それ以前に形成されてきたコーポラティズムの前提を崩しているため、民意が掬い取れなくなってきており、民意の残余が極右ポピュリストの台頭の要因となっているわけだ。



 こうしたポピュリスト政党の台頭から引き出せる教訓は、どのようなシステムや政策であっても、組み尽くし得ない民意の残余が常に出てくるということです。そして、その民意に新たな形と声を与えて、有効なシステムや政策とする媒介となるのが、野党の重要な役割だということも確認しておきたいと思います。(p.183)


この認識は本書を一貫しており、私としても参考になった点の一つだった。



 ちなみに、こうした「抵抗型野党」に対しては、代替案を用意しないから無責任だ、という意見が投げかけられることがあります。しかし、野党の第一義的な機能は代替案を用意することにはなく、何が問題かを社会に知らしめ、どのような解決があり得るのかを、与党とともに考えていくことにあります。極論すれば、権力のない野党は無責任でもよいのです。権力を持つ与党こそが、責任を負わなければならないのです。(p.220-221)


野党に対してしばしば代替案を出せと迫る安倍晋三などの言説を念頭に置いてのコメントであろう。この手の発言をするとき、発言者は間違った野党観に基づき発話している。このような発言が与党側からなされる場合、発話者自らの果たすべき役割についても理解していない可能性が高い。野党に代替案を出さなければ無責任だと非難している時、与党が出している案と野党から出されるべきと彼が考える案とで競争を行い、勝った案が採用されるべきだと暗に想定されている。そこには与党案に潜む問題点などは想定されていない(むしろ、問題点があることを見ないように、あるいは見せないようにしようとして上記発言がなされている)。野党はそうした与党側が用意した案の問題点がどこなのか、どのように修正する必要があるのか、ということを指摘する者であり、与党はその法案を法として制定した際に、問題が生じないよう(問題が出にくくするよう)にすることが与党や政権に求められる「責任」であろう。問題が指摘されているにもかかわらず、それに対する十分な説明や修正をすることなく、政府や与党が法案を通過させることこそ「無責任」な行為である。
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