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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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小熊英二 『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(その1)

 なお、2013年以降は好景気といわれ、大卒就職者が増加し、2015年には40万人を超えた。とはいえ文科省の「学校基本調査」によると、大卒就職者で比率が増えているのは、販売従事者と専門的・技術的職業従事者である。かつては大卒者の最大の就職先だった事務従事者は、その比率が下がっている(図1-12)。(p.54)


雇用される側の構造が変わらず、進学率だけが上がったので、かつては高卒で就業していた人たちが、いわゆる名門校や有名校、難関校ではない「大学」に進学し、結局、かつては高卒で就職していた就職先に収まっている。本書では日本の相対的な低学歴化(大学院進学率の低さ)を問題視しているようにも見えるが、私としては、むしろこのような「大学」の教育のあり方や学生の「生態」に興味がある。いわゆる名門校や有名校、難関校と言われる大学とそうでない大学で通う学生たちの「生態」に違いがあるのかどうか?また、どのような違いがあるのか?



しかし国際的にみると、日本は大学院とくに博士課程の進学が伸びず、博士号取得者数も伸びなやんでいる(図1-14)。国際比較でいえば、「日本の低学歴化」が起きているともいえる。
 ……(中略)……。
 その最大の理由は、日本では「どの大学の入試に通過したか」は重視されても、「大学で何を学んだか」が評価されにくいことである。専門の学位が評価されるのではなく、入試に通過したという「能力」が評価されるのだ。
 海老原嗣生によれば、企業は新卒採用者の選抜にあたり、卒業大学のランクを重視している。企業がそれによって評価しているのは、「地頭のよさ」「要領のよさ」「地道に継続して学習する力」といった「ポテンシャル(潜在能力)」だという。この三つの能力があれば、どの部署に配置してもまじめに努力し、早く仕事を覚え、適応することが期待できるからだ。(p.60-62)


この指摘は確かにそのとおりと思える。企業の採用担当者や面接官ではなくても、団塊世代が現役だった頃は若者の就職難で、団塊世代が退職すると急に就職しやすくなったという社会の状況を反映して、私の身の回りでの観察でも、就職してくる新規採用者の出身大学が大きく変化した。就職難の頃は旧帝大やMARCHあたりの卒業者がほとんどだったが、その後、いつの間にかそうした出身校が全く違うものになっていた。そのことの結果として現場で感じられる実感は、まさに上記引用文で評価されている3つの能力の違いと深く関係しているように思われる。

話をしても、一つのことを伝えたときに、どこまで理解が及ぶのかという範囲が違っているように見えることが多いし、何より物事に対する取り組みの姿勢に違いが感じられることが多い。例えば、一見仕事に対してネガティブな態度をとっているかのような場合であっても、一定レベルはクリアした上で、それ以上はもういいやという感じで留めておくスタンスと、一定レベルに達していないまま十分ない意欲を見せない(場合によっては無駄に残業をして残業代で稼ごうとしているとしか思えないような事例もある)といったスタンスでは、全く意味合いが異なるが、後者に近い姿勢を示すようなものを目にすることが出てきた。これなどは、受験勉強に対するスタンスと非常に通じるものがあるように思う。多くの受験生たちは、受験勉強を好んでやっているわけではないが、一定レベルの水準(例えば、偏差値で65くらいを安定的にキープできる学力水準)に達したところで、これ以上の難問は解かなくてよいと捨てる人と、その程度にすら達しないのに十分な習得のための努力や工夫をしていない人との違いと重なって見える。



1990年代以降も、東京中心部の風景はそれほど変わっていない。朝の通勤ラッシュも、オフィス街のスーツ姿も、六本木や霞ヶ関の街並みもあまり変わらない。その一因は、正社員が減っていないからだ。
 だが地方都市や農山村、東京圏でも郊外では、風景が大きく変わっている。自営商店や農家が減り、駅前商店街がシャッター街になった。入れ替わるように、街道沿いの巨大なショッピングモール、介護施設、在宅やコンビニむけの物流倉庫などが増えた。そこで働く人々には、非正規労働者も多い。そして統計的にも、自営業者が減り、非正規労働者が増えているのである。(p.81)


激しく同意。私も90年代末頃から「東京にいると国内の変化は見えない」ということを強く感じてきた。むしろ地方に住む方が様々なものが切り崩されている様を目の当たりにして実感することになり、今起こっていることが見えるだけではなく体感さえされる、と。



 日本の学校教育で「偏差値」が発案されたのは1957年だったが、これは当初は生徒の得意教科や不得意教科の基準を明確にする指導法としてのものだった。しかし1960年代半ばには、受験対策として学校のランキングに活用されることが始まった。それが本格的な広まりをみせたのは、1970年代になってからである。1960年代後半から70年代は、高校進学率・大学進学率が上昇して「大学卒」というだけでは意味がなくなり、「どの大学を卒業したか」が以前に増して重視されるようになった時期だった。(p.125-126)


偏差値導入の目的がこのようなものだったとは知らなかった。それが学校のランキングに活用されるというここ数十年間の一般的な使い方(?)になったのは、こちらの方が明らかに相性がいいからだろう。得意教科と不得意教科の基準を明確にするという指導法の場合、どの分野が苦手かというだけでは改善に直結せず、どの分野がどのように理解できていないのか、というさらに掘り下げたところまで分析が必要だが、偏差値にはそのような機能は十分ではない。逆にランキングにとっては、同じ基準で数字が一列に並ぶのだから明らかに相性が良い。



ヨーロッパでもアメリカでも、労働者が望んだのは、雇用主の気まぐれで運命を左右されない状況を作ることであり、差別を撤廃することであり、職業集団の地位を向上させることだった。それが結果的に、企業を横断した基準を作ったのである。(p.199)


本書ではこの経緯などが詳しく説明されている。



 当時はまだ民間産業が育っておらず、安定的な収入を得られるのは官吏や教員など公務セクターに限られていた。その状況のなかで、学歴を重視する公務セクターの俸給が、社会に強いインパクトを与えていった。(p.234)


戦前の日本の状況。民間産業が育っていなかったという条件が公務セクターの働き方が社会全体に強い影響力を持ったことの背景にあったという点は、本書を読み、なるほどと思わされた点の一つだった。



 官吏は「無定量勤務」が原則だったため、勤務時間が設けられていなかった。そして明治初期の官庁の勤務時間は、きわめて短かった。省庁の執務時間規則はあったものの、1869(明治2)年の規則では、午前10時登庁、午後2時退庁、昼休みが1時間で、実働時間は3時間だった。
 これは1871年には9時から3時までとなり、1886年には9時から5時となった。とはいえ、夏季の勤務は午前中までという慣習が昭和期まで続いた。(p.235)


なかなか衝撃的という感じだった。ただ、言われてみると、確かに、福祉国家的なものが表れる前はいわゆる夜警国家だったわけだから、官庁の仕事などあまり多くはなかったとしても不思議ではない。いかに現在の基準で物事を考えがちかという歴史を見る際の基本的なことを思い起こさせられる記述だった。

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