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アヴェスターにはこう書いている?
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阿部泰尚 『保護者のための いじめ解決の教科書』(その2)

いじめという言葉で片付けられている行為の多くは、大人であれば立派な犯罪になる。
 暴力をふるえば暴行、ケガをさせられれば傷害だし、SNSでの誹謗中傷は名誉棄損だ。人の持ち物を隠したら窃盗、壊したら器物損壊。仲間外れは、罪状はつかないかもしれないが人権侵害といえる。これらの被害に遭ったら、本来、警察に相談するのは当然のことなのだ。(p.129)


この認識は重要。また、大人の社会で問題視される各種のハラスメントと、加害者や被害者が置かれた環境が異なるだけで本質はほぼ同じとも言ってよいだろう。

ある程度はっきりした被害があり、証拠もある程度あるような状況であれば、警察への相談という選択肢は排除すべきものではない。



 犯罪に相当するいじめを行った子供が、その行為にふさわしい罰を受けることなく生きていくとしたら、加害生徒は犯罪の成功体験を持ったまま成長することになる。そのような子供たちに対して、強制力を持った警察という組織が出てくることで、「同じことを二度としてはならない」と教えることは本人たちのためにもなるのだ。(p.134)


加害者側を罰するという視点は、純粋に教育の観点からは出てきにくいが、ここで述べられている論理はもっと語られてよいものではないか、という気がする。ただ、実証的に見て、警察が出てくることの効果が、この論理のとおりかどうかという点は気になるが。



 大人が意識しなくても子供たちに伝えている価値観、「……でなければならない」の元を辿ると、テレビなどでも盛んに使われる「勝ち組」と「負け組」という言葉に行き着くと私は考えている。なにが勝ちでなにが負けなのか、その基準は、本来曖昧だと思うのだが、大人の世界では、「勝ち組」「負け組」は、お金持ちかそうでないかで語られ、その価値観が子供に伝染する。
 子供が、お金持ちは「勝ち組」で、そうでなければ「負け組」と思い込んでいるとき、そのことを(時には無意識のうちに)教えているのは、自分は勝ち組だと思っている親だ。
 親が、子供のクラスメイトの親を名指しして「〇〇さんは勝ち組だ」とか「〇〇さんは負け組だ」と口に出して言うことはないだろう。しかし、「……でなければならない」という思い込みが強く、自分が勝ち組だと思っている親は、知らず知らずのうちに、大人同士の会話の中で、「あの人」は社会のどのあたりの層に属するかを判断する方法を子供に伝えている
 ……(中略)……。
 その結果、子供の世界では、「勝ち組」は「負け組」を見下してもいいんだという空気が生まれやすい。そうして、子供は自分とは違う層に属していると判断したクラスメイトをいじめる。(p.162-163)


この議論を読んで、『ネット右翼とは何か』において、自営業、経営者、IT関係の専門職にはネット右翼(的なもの)が多いことが指摘されていることが想起された。

特に自営業や経営者については、自分を「勝ち組」と認識している人や「『勝ち組』でなければならない」と思っていたり、あるいは「『勝ち組』でありたい」という願望が強い人が、比較的多いのではないか。また、いずれの職種もプレッシャーが比較的強く、心理的に追い詰められた状況になりやすいように思われるが、そのような状況にある人は「……でなければならない」という思考になりやすいと推察される。

以上で言いたいことは、「ネトウヨの親」と「いじめる子供」とは親和性があるのではないか?ということである。

どちらも排外的であり、差別的であり、攻撃的であり、その上、自分が悪いことをしていることを特定されないように逃げながら他人を攻撃することを楽しむ。



 よく小学校の掲示板などで見かける、「みんな仲良く」というスローガンもいじめを助長しかねない。「みんな仲良く」は子供たちにとって絵空事すぎて、まったく心に響かないのだ。おまけに、「みんな仲良く」は「みんな同じ」という意味にとられやすく、結果的に、みんなと同じではない子供の排除を助長する。(p.167)


確かに。絵空事すぎて心に響かないという点にまず共感する。私自身が子供だった頃にもそのように感じていたように思う。

しかし、それでいて一定程度の規範性を持っていることは感じられる言葉でもある。この言葉が「みんな同じ」を是とする価値観と繋がりやすいという指摘も妥当であると思う。

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