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アヴェスターにはこう書いている?
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倉橋耕平 『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』(その2)

 歴史否定論の性格をもつ歴史修正主義が、保守や右派と結び付くのは、その歴史観(修正の仕方)が自国の戦争責任を否定し、復古主義的な側面をもっているからである。そもそも「保守」とは現実主義路線であり、現状の秩序を過去から存続するものと捉え、急激な変革に対して慎重路線をとる立場である。他方、「右翼」とは過去をまなざし、現在では失われた過去の価値や規範を持ち出して(復古的に)現在の変革を求める立場を指す。その場合、おおむね愛国主義になることが多い。このように、保守や右派(右翼)は、過去への関心から成り立っている側面は否定できない。そのために自国にとって不都合な歴史を否定する立場をとる歴史修正主義は保守や右派のイデオロギーと連動する傾向にある。(p.23)


なるほど。保守や右派が歴史修正主義と相性が良いのは、ここ30年ほどの歴史を見ると容易に見て取れるが、「過去への関心」が共通点としてあるという整理は興味深い。

ただ、現在の日本では、「保守」を名乗る人の多くは、実際には「反動」として規定されるべき立場であることが一般的であると思われ、急激な変革を求めないという保守の立場とは相容れない点が多い。むしろ、権利の拡張を要求するリベラルや左派を否定し、個人の平等や権利を縮小し、いわゆる「国家権力」を肥大化させる方向にできるだけ早く変えていこうとする立場として捉えた方が良いのではないか。その意味では、「保守」と名乗っている人々については、実際には、本書のこの個所で規定されている「右派(右翼)」の規定で捉えた方が妥当であるように思われる。



 保守言説の「商品」化の背景には、メディア市場の経済的な事情が影響している。「産経新聞」はたびたび経営難に陥っていて、1997年にフジテレビが上場するといよいよ資金援助を受け難い状態となった。2002年には夕刊を廃止し、その後も赤字決算の計上によってリストラを実行している。フジサンケイグループが「歴史問題」の積極的なキャンペーンを開始したのは、まさにこの経営不振の最中、1997年である。そして、他紙に比して極端に右派寄りの紙面を展開していく。その結果、斜陽産業と言われ、他紙が軒並み発行部数を落とすなか、現状維持したのは「産経新聞」だけだった(とはいえ160万部弱で全国紙としては最下位、「読売新聞」の五分の一程度である)。(p.66-67)


ニッチ市場としての「保守言説」の市場がこうして開拓されていく。批判を受けて否定されても、同じ議論が金太郎飴のように延々と垂れ流される理由のうち、いわゆる「保守言説」が、「思想」というよりは、こうしたニッチ市場で売れる「商品」だから(それにすがらざるを得ない経営難のフジサンケイグループなどの状況が背景にある)、というのは、かなり大きな割合を占めていると思われる。本書はこうした側面に切り込んでいるところが特徴であり、参考になったところ。

こうした戯言が、これほどまでに影響力を強めるとは、20年前の私には想像もできなかった。(この頃、私の周辺の友人たちはある種の危機感を覚えていたが、彼らは慧眼だったと思っている。)



 インターネットの動向はどうか。一時期、インターネットのニュースメディアはフジサンケイグループであふれていた。正確に計量することはできないが、「産経新聞」「夕刊フジ」「サンケイスポーツ」の記事が比較的多くネット上に流通しているのは、産経新聞社が経営不振からいち早く記事の無料公開に踏み切ったことによる。特に、2007年にマイクロソフトと提携してニュースをユーザーに無料で読めるようにしたことは話題を集めた(2014年まで実施)。翌08年にはiPhone向けのスマートフォンアプリを無料で公開した(2016年に有料化)。ほかの新聞社がwebサービスを一部有料にし、紙媒体の購読料から得られる利益を守る方針で運営したのに対し、産経はニュース記事を公開することでインターネットの特徴である無料コンテンツ文化に適応していった。こうした市場の力学の結果、ネットニュースという言説空間でのフジサンケイグループの発信力・占有力は、いまなお一定の割合で保たれている。(p.67-68)


ここで指摘されていることは、ネトウヨ的な勢力を一定数維持・再生産するような極めて問題のある構造である。これは改めていく必要がある事態であるが、どこから手を付けるのが良いか?



「ディベートは、次のような不誠実な思考を生徒にしいている。<相手に勝つという自己の目的のためには、目的達成に都合がいい事実だけをつまみ食いすることが許される。逆に都合の悪い事実は出来るだけ避ければいい>という思考である」(p.120)


これは池田久美子の指摘を本書が引用している部分だが、かつて右派が持ち上げたディベートに対する的を射た批判である。

さらに言えば、安倍政権あるいは安倍晋三という政治家の言動とこれほど一致する姿勢はないのではないか。例えば、森友問題、加計問題や、現在追求されいている「桜を見る会」などで様々な質問がされても、質問に答えない姿勢も、上記引用文の姿勢と完全に一致している。GDP統計などの不正・不当な改竄とも言うべき改定なども同じである。

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