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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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倉橋耕平 『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』(その1)

「専門家」の共同体から疑義が呈されていてもなお歴史を書き換えようとする彼らはそれを繰り返し主張し、「出典」と「引用」をあげ、反論の根拠を要求する「論戦」を続けている。とりわけ、こうした論戦では「論破」への過剰なフェティシズムが垣間見られ、執拗に他者を追い回し、マウントをとるまで議論を吹っかける実践が日々繰り返されている。(p.10)


「論破」への過剰なフェティシズムという表現は、「右翼」「右派」「保守」などと呼ばれる「反動」的な言説を垂れ流す輩の特徴の一つを非常に的確に捉えており参考になった。



 歴史修正主義の著作は、すでに数多くの批判にさらされている。……(中略)……。彼らを「知的に取り合う必要がない」として棄却することは、豊富な知識をもつ者がとるべき妥当な態度なのかもしれない。だが、それでいいのか。内容の正否を問わず歴史修正主義の言説が広がっているならば、その拡散の方法こそ考えるべきではないだろうか。私は、むしろそこに彼らには彼らの「知性」と呼べるものがあるように思うのだ。(p.10-11)


本書はこの切り口でアプローチしているのだが、確かに言われてみればそうかも知れないと思わされた。非常に良い着眼点だと思う。明らかに間違っている言説が、壊れたテープレコーダーのように同じことが繰り返し語られ続ける。どんなに内容に対して批判があってもほとんど影響を受けずに同じ言説が繰り返される。それは何故なのか?語られた内容ではなく「どこで、どのように」語られたかに着目することで、こうした疑問にアプローチすることで、その理由が見えてくる。



「言論」や「言説」などと呼ばれるものは、少なからず存在の様式に内容を規定される。メディアは、ジャンルのルールをその形式から規定する。各メディアで異なるコミュニケーションのあり方、消費者の参加、デザイン、すべてが「メッセージ」である。もし歴史修正主義者に学術的批判の声が届いていないとすれば、そもそもまったく別のメディアに掲載される彼らの情報の存在様式やコミュニケーション・モードが批判者のそれとは異なり、別の論理で動いていることを意味している。
 本書が問いたいのは、この部分である。すでに述べたとおり、歴史修正主義の主張は学問のフィールドでは共感も評価も得ていない。学術出版社も距離を置いているのが現状である。他方で、歴史修正主義と親和性が高いのは、本書のなかで扱うビジネス系の自己啓発書、保守論壇誌、週刊誌、マンガなどの商業出版とインターネットである。それらは、言説内容の正しさよりも「売れる」かどうかを優先する「文化消費者による評価」を至上命題としているメディアである。テレビのバラエティー番組も視聴率重視、インターネットも閲覧数至上主義という側面が大きい。したがって商業メディアは、いわゆる「政治」には不向きなメディアと言われてきた。にもかかわらず、歴史修正主義者の主張が商業メディアで展開されるのだとしたら、その手法にこそ政治的側面を読み取ることができるのではないか。
 詳細な議論については、本編の分析を読んでいただきたいが、昨今おこなわれている歴史修正主義の言説政治をめぐる状況は「サブカルチャー」であり、「保守ビジネス」である。(p.12-13)


売れるかどうかが内容が正しいかどうかよりも重視される商業メディアで垂れ流されるからこそ、内容が批判されても同じものが金太郎飴のように次々と再生産される。これを是正するためには、商業メディアに対する規制が重要となってくる。


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