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アヴェスターにはこう書いている?
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フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その2)

 まず、貴金属は西洋の回路から、とりわけインド諸国および中国方面へ絶えず出ていった。それはすでに遠い昔、ローマ帝国の時代から始まっていた。極東の絹・胡椒・香辛料・麻薬・真珠の代価を払うのに銀や金をもってせねばならなかった。これらの品物を強引に西へ取り寄せるには、それしか手段がなかったのである。この東西の主軸にあっては、中国を例にとると1820年代ごろまで、ヨーロッパの収支はそのためにずっと赤字つづきであった。それは永続的で、一本調子で、構造的な流出であった。貴金属は、レヴァントや喜望峰を経由し、さらに太平洋さえ渡って、おのずから極東めがけて流れていった。(p.183-185、訳文の傍点を下線に変更)



この「構造」は、A.G.フランクが極めて重視している流れであり、様々な歴史の本を読みながら、私も交易(物流)の状況をその都度チェックするのだが、やはりこの流れがあることは明確に把握できる。

ただ、私にとっての疑問は、金と銀がインドと中国に流れていくのが構造的なものだったとすれば、インドと中国にばかり金と銀が集まってしまうというところにある。もちろん、いわゆる「中世ヨーロッパ」の教会堂、特にカテドラル(司教座教会堂)のような格の高い教会堂の宝物などには、黄金をふんだんに使った宝物があることも多い。A.G.フランクは、確か、加工品として西方へと再度流出したと語っていたと思う。つまり、西方は原料供給地であり、東方がそれを加工して高く売りさばくという構造であり、要するに現代の南北問題とほぼ同じ構造である。そのあたりの詳細については、もう少しよく調べてみたいと思っている。

ブローデルの叙述や考え方に対して疑問に思うのは、こうした構造があったという事実を知りながら、どうして「ヨーロッパ」は世界の中で豊かで先進的な地域だと信じることができたのかという点にある。ブローデルのヨーロッパ中心主義の発想はぬぐいがたく様々な局面で出てくるのだが、しばしばそれを覆すような事実に逢着しても、決して十分にその信念が後退することはない。

ある意味では、「ヨーロッパ」を中心とした研究しか深く知らないし、当時はそれほど他の地域の研究が進んでいなかったとも言えるのかもしれないが、現在から振り返ると逆に不思議にさえ思える。

実際、ブローデルの非ヨーロッパについての叙述の大部分は中国に関するものであり、日本もよく出てくる(これには、当時の日本は高度経済成長をしていたので、注目されていたことが反映している。)が、インドの叙述は少ない。(余談だが、ブローデルとほぼ同時代の人でもイギリスの著者の作品にはインドが登場する頻度が高いように思う。)中東に関する叙述はトルコ(オスマン朝)を除くとほとんどない。トルコ以外でイスラームについて話題にするときは、マグレブやイベリア半島が採り上げられることが多く、歴史的シリアやアラビア半島、ペルシャが深く取り扱われることはほとんどない。中国と同じように多いのは中南米についてであり、これはブローデルが南米に住んでいた時期があることを反映している。

ブローデルの書いたものを読んでいると、彼の博識は確かにすごいのだが、地域によって知識の粗密の差が非常に大きいことがわかり、なかなか興味深い。




 これからおいおい見てゆくが、これらの都市のあるところ、莫大な支出が見られるのであった。この経済に対する均衡は外部からしか得られず、それゆえこれらの都市の贅沢の代金は他人が払わなくてはならなかった。だとすると、西ヨーロッパでは都市が続々と出現しておおいに威勢を張っていたわけだが、それらの都市はそこでなんの役に立っていたのであろうか。近代国家を作り上げたのである。それは途方もない任務であり、途方もない努力を要した。それらの都市が世界史の転機を画したのである。それらがあの数々の全国的市場を作り上げたのであり、もしそうしなかったならば、近代国家なるものは純然たる虚構と化したであろう。(p.281)



ブローデルの都市論は興味深い。ブローデルの都市論の多くの要素は私見ではネットワーク理論で読み替えることができる。ここで述べられていることも、その一例となる。

いわゆる「近代国家」なるものにもいろいろな側面がある。それは主権国家だったり国民国家だったりするが、「近代国家」の一つの性質として、それが定まった境界を持つ領域によって区切られているということがある。これはクラスター性があるということだ。その上、経験的に観察されることだが、人口が幾つかの地域的な拠点に集中している。その場所には人だけでなく富やモノや情報などが密集している。これは大都市はこの「近代国家」というネットワークのハブであるということだろう。そして、都市というハブがあることによって、クラスターを形成する各ノードは連携を維持することができ、一つのまとまりであり続けることができる。

ブローデルは都市が一つの国境内の地域を結びつけるハブであることを指摘し、そのハブが機能することによってネットワークのリンクが維持されるという構造を見て取ると同時に、ハブがあるかないかによってネットワークの性質が変わることさえも暗示しており、興味深い。その上で、「近代国家」なるものが幻想としての側面も持っていることに目配りがされているようにも思われ、そうであれば、それは妥当な認識である。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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