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アヴェスターにはこう書いている?
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マイケル・サンデル&ポール・ダンブロージョ 編著 『サンデル教授、中国哲学に出会う』(その1)
第四章 市民道徳に関するサンデルの考え方 朱慧玲

彼の政治哲学はコミュニタリアニズムというより、ある種の共和主義と考えるのが妥当であることを、私はこれまでの数本の論文で示してきた。
 まず、共通善についての彼の理解は、コミュニタリアニズムに見られるものとは異なる。サンデルの主張によれば、ある集団内で共有される価値観は、その集団の共通善を完全には実現あるいは支持しないかもしれない。そのうえ、コミュニティの善の構想を決めるのは、特定のコミュニティでたまたま幅を利かせている恣意的な価値観だけではない。より重要なのは人々の熟議である。そして、共通善をめぐる熟議は必ずしもそのコミュニティの内部や共有される伝統の中で実現されるとは限らない。したがって、サンデルの意見では、共通善の構想とコミュニティの伝統の間には緊張関係が存在することもあり得る。共通善は、たまたま人気のある価値観をただ受け入れるということではない。逆に、その価値観とコミュニティの共通善に批判的な見方を示し、それによって、コミュニタリアニズム的姿勢がはらむ多数決主義の危険を回避することもあり得る。サンデルの共通善についての理解の仕方と、熟議の強調は、コミュニタリアニズムよりも共和主義の理論に沿ったものだ。(p.90-91)


中国ではサンデルの哲学をコミュニタリアニズムとして理解する人が多いということに対して、本章の著者はむしろ共和主義と考えるのが妥当だと指摘する。これは妥当な理解である。ただ、中国で共和主義として見なされないのには、理由があるように思える。ここで指摘されるような熟議が中国の政治体制には(少なくとも公共的なものとしては)存在しないからである。存在しないどころか、こうしたものを排除しようとさえしていると考えることができる。一党支配下でメディアを統制するということも、公共的な熟議を妨げるためのものとも言える。



とりわけ、サンデルは強力な市民的共和主義の提唱者であり、現代の政治哲学においてリベラリズムを市民的共和主義に置き換えることを究極の目標としていると理解するのが妥当だろう。(p.91)


確かにこのように捉えるのはほぼ的確な表現であるように思われる。

サンデルとは直接関係がないが、前の2つのエントリーでメモした井手英策の財政思想(このブログにはほとんど書いていないがベーシック・サービスというアイディア)は、リベラリズムよりも市民的共和主義と適合しているのではないかと思われる。例えば、ベーシック・サービスにおいては、社会の共通のニーズを探し出し、それを満たすサービスを普遍主義的に実施することになるが、この「社会の共通のニーズを探し出す」ということと、市民的共和主義における熟議やコミュニティの重視から帰結できるが、リベラリズムの人間観・社会観からは引きだしにくいからである。

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