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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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井手英策 『幸福の増税論――財政はだれのために』(その1)

国は愛せるけれど、仲間を愛せないなんて、どこかおかしくないだろうか。
 問題を解決するためにはお金がいる。であればなぜ、国を大切に思うみなさんは、国家の経済活動である「財政」のあるべき姿を語ろうとしないのだろう。(p.ⅱ)


これは愛国主義的な右派向けのメッセージとして書かれた部分だが、自称愛国者である右派の多くは「国」など愛してはいない。政府に取り入る(すり寄る)言説を吐くことで(一種の心理的な貸しを作ったかのように感じ)、何か自分が政府から守ってもらえると思える(一種の心理的な貸しを返してもらう)。そういう謎の(偽りの)安心感を得たいという動機だったり、結局は自己愛でしかない。少なくともその言説に触れる限りではそのように見ざるを得ない。ただ、このように彼らの建前をうまく利用して語りかけることは有用であるように思われる。



 先進国の常識では、いいにくい増税をうったえてでも、人びとの命とくらしの保障を要求するのがリベラルだ。でも日本では、政府ぎらいのリベラルがこぞって増税に反対する。自由の条件整備を棚あげにしながら、自由を語る僕たちとはいったいなんなのだろう。(p.ⅲ)


これも日本に特有の現象を的確に捉えている。日本でリベラルと考えている人の多くはリバタリアニズムとリベラリズムを適切に腑分けできておらず、リバタリアンへの抵抗力が弱い。



 ここで確認しておきたいのは、勤労国家とは、いわば毎年所得が9.3%増えていくことを前提にして成りたってきた自己責任モデルだということである。(p.35)


このモデルに慣れ親しんできた世代が現役で投票している間は、この呪縛から逃れるのは困難かも知れない。それでもこうした成長依存型のモデルが成り立ちえないという主張を広げていく必要がある。



 いや、それ以前に、円安による実質GDPの増大は、ドル建てでのGDPをむしろ減少させた。第二次安倍政権で名目GDPは、2012年の494.5兆円から17年の548.6兆円へと増大した。だが、同時に、各年の平均ドル円レートで計算したドル建てGDPを見てみると、6.2兆ドルから4.9兆ドルに減少している。(p.40)


今の政府は政権維持に都合の良いことしか言わないようにし、それ以外の情報をもみ消そうとし続けているが、実際の情勢を判断するには様々な指標とその意味を十分に吟味する必要がある。有権者の側にその情報が十分に提供されていないことに現在の日本の大きな問題がある。



 また、飲食や介護といったサービス産業は、ライバルが主婦による「無償労働」だという問題もある。現実問題として価格設定がどうしても低くならざるをえないのだ。技術革新がおきにくく、価格設定が低ければ、人件費を削る、つまり、雇用の非正規化を加速させるしかない。だから賃金もさがる(長松奈美江「サービス産業化がもたらす働き方の変化」)。(p.44)


なるほど。



 中長期的に見て、かつてのような経済成長が前提としづらい状況であるにもかかわらず、政府はアベノミクスの成果を誇らしげにかたり、野党はその効果の乏しさを真っ向から批判する。しかも、オリンピックや万博といったイベントに経済をゆだね、外国人から見て割安になった経済の衰退から目をそむけながら、インバウンドが成長戦略だと公然と語られる。
 完全にズレている。いずれの政権が経済成長を実現できるかという発想そのもの、あえていえば、できないことをできるといい張る人たちの不毛な議論が本当に必要な議論のさまたげとなっている。(p.46)


全く同感である。



 OECDの「図表で見る社会2011("Society at a Glance 2011")」を見てみると、統計的には、所得格差の大きい社会は他社への信頼度が低いことが明らかにされている。
 ……(中略)……。
 人間不信、政府不信だけではない。「世界価値観調査」によれば、僕たちは、国際的にみて、平等、自由、愛国心、人権といった「普遍的な価値」すら分かちあえない国民になりつつある。(p.50-51)


このようなデータも私の実感と一致する。



だが、食べたいもの、着たいものを我慢し、ときには結婚や出産すらあきらめながら、爪に火をともすような生活をしている人たち、現実には低所得層なみの生活水準でありながら、自分は「中の下」で踏んばっていると信じたい大勢の人たちがいる。
 この人たちに格差是正、弱者への支援をうったえたとき、はたして彼らはそのさけびに共感してくれるだろうか。むしろ弱者に怒りの牙をむきはじめるのではないだろうか。(p.54)


重要な指摘。特に、こうした「中の下」だと思いたい人々がおり、その数がかなり多いという事実は、日本の現状を考える上で極めて重要であると思われる。「弱者を救済する」というロジックがこの日本という社会で通用しない理由はここにある。



 だが、弱者への配慮が成りたたない社会にあって、「弱者の自由」「弱者への優しさ」をさけび続けるリベラルに未来はあるだろうか。これが本書に課せられた大きな問い、課題である。
 ……(中略)……。
 繰り返そう。不安におびえているのは一部の弱者ではない大勢の人たちなのだ(p.65-66)


この問題は現代日本のリベラルや左派にとって真剣に取り組まれるべき課題である。

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