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アヴェスターにはこう書いている?
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中西聡 『北前船の近代史――海の豪商たちが遺したもの――(増補改訂版)』(その1)

 ところが、明治に入り、鉄道網・定期汽船網などの交通網が発達すると、こうした地域間価格差は次第に縮小した。最後まで大きな地域間価格差が残されたのが、北海道と関東・東海・関西・瀬戸内・九州などとの間で、結果的に明治時代には大部分の北前船主が北海道へ進出することとなった。北海道では、明治時代に大規模な開拓が行われ、人口が急増するとともに本州・四国向けの北海道産魚肥の生産も急増した。それをめがけて北前船が北海道へ殺到したために、明治時代前期に北前船の最盛期を迎えることとなった。(p.3-4)


北前船の買い積みというビジネスモデルが前提していた地域間価格差が、交通網や電信網などの発達によって縮小していき、地域間価格差が最後まで残り続けた上に、開拓による人口増による物資の需要があり、魚肥の供給地でもあった北海道との交易によって北前船が明治期前半に全盛となった。北前船というと江戸時代のものというイメージがもたれてきたことに対し、著者は北前船の最盛期は明治の前半であるとして批判している。



 その後、1780年代になると、幕府老中の田沼が北海道の開発を計画したこともあり、江戸商人が松前城下に進出し始めた。幕府は1799~1822(寛政11~文政5)年まで蝦夷地を直轄したが、江戸商人の進出は、松前藩にとって新たなスポンサーの登場を意味し、江戸商人も松前藩の御用金を負担する代わりに商場(場所)請負を望むようになった。新たなスポンサーを得た松前藩は、両浜組に特権を与える必要がなくなり、免税特権を失った両浜組商人の経営は苦しくなった。その結果、両浜組商人の多くは北海道から撤退し、商場(場所)請負へ進出していた両浜組商人が北海道に残った。(p.10)


幕府の北海道開発や直轄の方針は、商人たちの北海道への関心を高めた大きな要因であったことが窺える。これによる江戸商人が進出し、それ以前に進出していた近江商人の多くを駆逐していくこととなる。



 日露交渉の先駆者として様々な小説の題材となってきた高田屋嘉兵衛は、兵庫の廻船問屋の船の船乗りとなり、1796(寛政8)年に和船を所有して独立した。この年に嘉兵衛は初めて北海道の箱館を訪れ、両浜組商人が勢力を保っていた福山湊(松前城下)や江差湊ではなく、幕府の蝦夷地開発計画で脚光を浴び始めた箱館湊を北海道での拠点に定めた。そのことが、1799年の幕府蝦夷地直轄後に幕府と高田屋を結びつける契機となり、高田屋は幕府用達として幕府の物資の輸送にあたることとなった。高田屋は、1798年時点で5隻の和船を所有していたと考えられるが、99年には幕府の命を受けて、択捉航路を開くとともに、官船の建造を請け負い、1800年に幕府定雇船頭となってそれらの運航を任された(柴村羊五『北海の豪商 高田屋嘉兵衛』)。(p.18)


幕府の蝦夷地開発・直轄の計画に伴い江戸商人が進出したのと同じような関心に基づき高田屋嘉兵衛も箱館に進出し、幕府の後ろ盾の下で様々な事業を展開していったことがわかる。



その前年の1823年に幕府の蝦夷地直轄が終了し、松前藩に蝦夷島が復領されたが、北海道での有力な後ろ盾を失った高田屋は、結果的に密貿易の疑いをかけられて松前藩によってとり潰された。(p.19)


高田屋がいかに幕府との結びつきによって支えられていたかがよくわかる。なお、幕府の蝦夷地直轄化は松前藩にとっては死活問題であり、幕府とは利害が対立する関係にあったことも関係している。



江戸時代に魚肥の中心であった鰯魚肥が、1880年代の鰯漁の不漁で衰退したなかで、それに代わって北海道産鯡魚肥が日本各地に普及するに至り、場所請負時代に優良漁場を確保していた旧場所請負人にとって、漁業経営拡大の絶好の機会が訪れた。そのため、日本海沿岸・オホーツク海沿岸を請け負っていた旧場所請負人は場所請負経営で得た資金を、漁業経営の拡大に投入し、北海道の銀行・会社設立にはあまり投入しなかった。むしろ、鯡漁とあまり関係のない太平洋沿岸を請け負っていた函館港の旧場所請負人が、漁業から撤退して函館の行政に携わったり、函館の銀行設立に参加した(『函館市史』通説編第2巻)。(p.23-24)


鰯魚肥から鰊魚肥へ、そして化学肥料などへと変わっていくわけだ。

北前船主や場所請負人たちが、鰊漁が下火になる中、その後、どのように地域の経済に影響を及ぼしたか(近代化に貢献したか)という点への関心は本書の特徴の一つ。



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