FC2ブログ
アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

永田信孝 『北前船 主な寄港地の今昔』

 長崎は、元亀2年(1571)に開港して以来、ポルトガル、オランダ、中国との貿易拠点として発展した。寛永13年(1636)に完成した出島と、元禄2年(1689)に完成した唐人屋敷が、オランダ、中国との貿易の中心であった。オランダからは、生糸、綿布、砂糖、香料、薬類、皮類など、中国からは、生糸、絹織物、麻布、薬類、砂糖、錫、茶、皮類、角類などが輸入された。日本からの輸出品としては、金、銀、銅をはじめ、俵物(フカヒレ、イリコ、干しアワビ)、瀬戸物、漆器などであった。
 貿易がつづき発展してくると、金、銀、銅の算出が徐々に減少し、その代役として重要な役目を果たしたのが長崎俵物とよばれるフカヒレ、イリコ(ナマコから内臓を取り除き、茹でて干したもの)、干しアワビである。やがて長崎県で生産する量では不足し、北海道をはじめ全国各地から集荷されるようになった。その時、俵物などを長崎まで運搬してきたのが、北前船廻船問屋の廻船であり、福井県廻船問屋の記録に記載されている。(p.92)


琉球からの昆布の密輸出などとも共通性があるモノの流れであると思われる。



 初期の頃は、北海道の松前、江差、箱館と福井県の敦賀、小浜との間の交易が主体であったが、「千石船」とよばれる大型木造船が出現すると、比較的安全にしかも安価に運ぶことができるようになった。その結果、若狭、越前に陸揚げされる量は徐々に少なくなり、大坂、神戸に直接運ぶようになる。
 主な交易品としては、北海道、東北地方からはニシン、コンブ、米、ヒノキアスナロ(ヒバ)などの農林水産物を、大坂、神戸、若狭、越前方面からは綿織物、紙類、塩、醤油、酒、砂糖などの生活必需品であった。このような物資の動きによって各地域の生活レベルを向上させた。(p.97)


北前船の交易も、日本海各地を次々に結ぶものから次第に蝦夷地と大坂を直接結ぶものへとシフトしていった。その技術的な要因としては船の大型化があった。本書では重点的に語られてはいないが、中西聡などの議論では、明治に入り、電信や鉄道などの発達により地域間価格差がなくなっていったことにより、蝦夷地と大坂を直接結ぶようになったとされている。本書の議論と合わせると、船の大型化によって江戸時代後期には徐々に直接交易の方向性に近づいていたが、明治になってその傾向がより一層進んだというところだろうか。

ちなみに、ヒノキアスナロは蝦夷地(現在の檜山地方)から搬出されたものが含まれるだろうが、東北地方などからはどの程度出ていたのだろう?

スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/1380-f783bad8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)