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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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堀淳一 『地図の中の札幌 街の歴史を読み解く』

大通は無名だが、当初はこれより北の官公庁・学校地域を南の民間街から隔離するための空閑地だったらしい。
 しかし明治20年代に火防帯と位置づけられる。何れにしても札幌市の自慢である大通公園が、草創期には民間の茅屋群から官公庁街を守るための、官尊民卑思想の産物だったとは皮肉な話だ。(p.19)


大通は火防帯として設けられたという説明がなされることがしばしばあるが、本書によるとそうではないらしい。最初は官公庁エリアを民間エリアから隔離するための空閑地として設けられたが、それを明治20年代に火防帯として位置づけなおしたという。



 なぜ開拓使の設置が明治元年(1867年)ではなくて同二年なのか?という疑問をもつ人は、少なくないのではなかろうか。
 実は明治元年には、箱館(現函館)に司法・行政機関を兼務する裁判所(すぐのちに箱館府となる)が設置されたのみで、エゾ地はまだ維新政府の手中に入らないままだった。……(中略)……。
 政府軍が巻き返して榎本を降伏させたのは明治二年の五月のことで、蝦夷が北海道と改められて開拓使が置かれたのが同年七月のことだったのだ。(p.25)


明治元年時点の「日本地図」を描くとしたら、北海道は抜きにして(せいぜい箱館の一部を加えるのみ)描かなければならない状況だった。このことは理解しておく必要がある。北海道は明治に入ってから日本の一部とされ、開拓という名の下で征服(植民地化)されていった、と押さえるべきなのだろう。(それ以前の場所請負人たちがアイヌを使役したやり方に問題があったため、アイヌの人口が激減していたことが、明治になってからの植民地化を比較的スムーズに進めることに寄与したものと思われる。)



 いや、それよりも何よりも、ゴムタイヤにしてしまったせいで、JR北海道との相互乗り入れができなくなってしまったではないか!ふつうの鉄のレールにしておけば、新さっぽろ駅で千歳線に、麻生駅から新琴似駅までちょっと延ばして札沼線に、宮の沢駅から発寒駅までちょっと延ばして函館本線に乗り入れることができたのに……。
 そしてさらに、せっかく真駒内駅まで定山渓鉄道跡を利用したのだから、真駒内で停まらずに定山渓までの全線を利用して地下鉄を定山渓まで、とはいわずとも、人口密度の高い簾舞まで走らせることもできたのに。(p.239)


札幌の地下鉄がゴムタイヤを使っていることの結果としてJRとの乗り入れができなくなったという指摘。あまり考えたことがなかったが、言われてみるとその通りだと思う。


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