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アヴェスターにはこう書いている?
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『現代思想2018年10月臨時増刊号 総特集マルクス・ガブリエル 新しい実在論』
宮﨑裕助、大河内泰樹、斎藤幸平 「討議 多元化する世界の狭間で マルクス・ガブリエルの哲学を検証する」より

斎藤 (前略)
 フェラーリスやポール・ボゴシアンといったガブリエルが新実在論の賛同者として挙げている人々は、ポストモダンは最初の動機はよかった、という話をします。ジェンダー的規範にせよ、植民地支配にせよ、近代ヨーロッパ的な理性中心主義の普遍主義が、実は知の権力性によって構築されており、抑圧や排除を含んでいる、だから、そこから解放されなくてはならない、というもともとの動機はよかったわけです。けれど、自然的なものは変えられないが、社会的に構築されたものであれば変革することができる、あらゆるものを脱構築することによって社会は変革できる、という戦略が行き過ぎてしまうと、すべてが構築されたものになって、真理や普遍性の地位は脅かされ、相対主義、ポスト・トゥルースが蔓延してしまう。……(中略)……。そうした状況を一度リセットして、事実や普遍性に根づいた理論を再構築しようとする新実在論の試みは、排外主義的なポピュリズムが台頭するなかで有効な軸を打ち出せない左派にとっても、一考の価値があるのではないでしょうか。


同意見である。



宮﨑 (前略)
 ただ、いろいろ見ていて気づいたのは、「Sinn」という言葉についてです。これは基本的にはフレーゲの文脈原理の議論から来ているようですが、でもSinnには感覚やセンスの意味がありますよね。……(中略)……センスの意味を単に意味ではなく感覚、つまり人間に限らない動物なども含めて、自律した近くの契機にまで拡大して考えるのであれば、一応この議論をクリアできる方向で理解できるのかなとは思いました。(p.109-110)


SinnfeldのSinnについて、「意味」と「感覚」の二つの意味があり、「感覚」の意味で用いる場合もあるとすることで、社会構築主義的な構図に陥らない形で議論を展開できるという見解だが、これも同意見である。ただ、ガブリエル自身は、この使い分けのようなものを十分踏み込んで論じているわけではないらしい。個人的にはオートポイエーシスとガブリエルの理論を比較するにあたって、この区別は重要であろう。この点は、私が今後ガブリエルの本を読む際にチェックしたいと思っているところである。



マウリツィオ・フェラーリス 「新しい実在論 ショート・イントロダクション(1)」より

いま問題となっている「新しい実在論者」は、いずれも大陸哲学のなかから出てきた。反実在論の重みは、分析哲学よりも大陸哲学でのほうが、ずっと大きかったからである。……(中略)……。
 しかし、分析哲学者にとって問題が認識論的なものだったとすれば(「概念図式と言語は、わたしたちの世界観にどこまで介入しているのだろうか」)、大陸哲学者にとって問題は政治的なものだった。ポストモダニズムが陥っている誤謬について、わたしは「知=権力の誤謬」という呼称を提案したことがある。この誤謬にしたがってポストモダニズムが育んだ観念は、現実は実際のところ支配を目的とした権力によって構築されているのであり、知は解放の手段ではなく権力の道具であるというものだった。(p.178)


なるほど。



そのような無節操な態度は、大量破壊兵器にかんする偽の証拠に基づいて戦争を始めるところまで来てしまった。「事実は存在せず、解釈だけが存在する」というニーチェの原理がじっさい何を結果したのかを、わたしたちはメディアに――いくつかの政治綱領にも――目の当たりにさせられてきた。……(中略)……。かくしてニーチェのモットーの本当の意味は、むしろ「最強者の理屈がいつでも最良のものである」ということであるのが明らかになった。(p.178-179)


相対主義は強者にとってこそ都合がよいものだということを喝破している。



景山洋平 「精神と現存在の差異 ガブリエルとハイデガーにおける様相・歴史・自由」より。

ポイントは、ハイデガーにおいて、生の意味がそれとの関係で成り立つ事実性が、同時に、生の意味の消失に我々を直面させることである。つまり、「自由・福祉・健康・正義を『課題』としよう」とガブリエルのように断言できる自信はハイデガーの現存在にはなく、生の意味をめぐる絶えざる試行錯誤しかない。(p.262)


私見ではハイデガーの哲学のこうした不安定性こそ、ナチスへと繋がっていくものであると考える。ナチスに限らずポピュリズム的な扇動に動員される人々の心理には、こうした不安定性と結びついた不安や恐れがある。ポピュリズムの扇動はこうしたものと親和的である。


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