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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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丸山俊一 『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』

 だからたとえば、もし友人や家族などの身近な環境で、深く皮肉で虚無的で、反民主主義の会話を見かけたら、戦え。「ノー」と言え。(p.77)


ガブリエルは権力と柔らかく向き合うべきだという。権力に対して直接、激しく対立するのではなく、ファイアウォールを毎日見直してアップデートすべきだという。ファイアウォールをアップデートするということは、上記引用文のような対応をしていくことと繋がっている。確かに、反民主主義的な言説を垂れ流してもどこからも反論が来ない社会は、権力者が反民主主義的な言動をしても、それに対して批判し、是正させる力も弱い社会であろう。現在の日本のように。



もし、インターネットをリアルな社会的な活動範囲にまで積極的に広げてしまったら、社会的現実を破壊することになるだろう。僕らは、こうして民主主義を壊してしまっているんだ。インターネットは決して民主的なメディアではない。(p.80)


ネットを使った社会活動のすべてが民主主義を破壊するとは限らないが、インターネットには民主主義や言論の自由、表現の自由などを蝕んでいく傾向があることは事実だろう。例えば、言論の自由などの言葉の意味を履き違えながらヘイトスピーチをまき散らすという行為が行われ、無知な輩がそのような粗末な言説に影響され、拡大していき、次第にそれが市民権を得たかのように大きくなっていき、それが批判されると言論の自由を盾にとって自らの主張を正当化しようとする場合など。



 もちろん、僕もインターネットを使う。フェイスブックやツイッターもやっている。しかし、僕はそれらを、「告知」の道具としてのみ使っているんだ。(p.82)


インターネットは双方向のコミュニケーションではなく、一方的に知らせる告知として使うというガブリエルの使い方は、個人としての使い方としては妥当なものの一つである。私もフェイスブックやライン、それどころかメールなどはコミュニケーションのツールというより、告知(通知)するためのツールだと考えている。ネットのメディアで議論をすることは全く現実的ではない。



トランプは、ポストモダン理論を政治へ完璧に組み入れた例だ。ここに、僕らの新しい哲学的な敵が存在する。……(中略)……。彼はポストモダン的天才で、ポストモダニズムの洞察を経済的な言動力にしている。
 ポストモダニズムの基礎的な概念は、覚えているだろうか、これらすべてを突き動かしていたのは、僕らは現実を見ることができない、社会的現実などない、そして映像の外の現実もなく、ただ一つの鏡がもう一つの鏡の横にあるという概念だった。
 だが、もう明らかに、鏡を投げ捨て、新しい段階を始める時だろう。(p.143)


私がガブリエルの思想に興味を持ったのは、彼のこの種の洞察に共感したからである。現代のポストトゥルースと呼ばれる事態は、まさに権力者たちがポストモダニズムを利用しながら統治を行っている事態を反映している。その典型的な実例がドナルド・トランプであり、安倍晋三である。カリスマの有無という問題ではなく、ポストモダニズム的な観点から、マスメディアの批判を封じ込め、野党の批判をはぐらかし続けながら、事実を自らの都合の良いように社会構成主義的に作り直して発信していけば、民衆を容易に騙すことができることを彼らは理解している。彼ら自身には大した能力がなかったとしても、社会の側が権力者の権力を縛ることへの関心を失った(意味を理解しなくなった)結果、大した能力がない者でも、大きな権力を思いきり使えるような制度になっていることも、その背景にある。



そして、もし道徳観がただの好みの問題であるならば、……(中略)……、「正義などなく、あるのは征服だけである」と結論せざるを得なくなる。……(中略)……。だから、社会的現実においては――真実がなければ――純粋な闘いが生じる。それがドナルド・トランプの世界観だ。結局のところ、正義などなく、あるのは征服だけだ。それが彼のビジネスモデルだ。(p.149)


この問題意識に共感する。哲学的にはガブリエルは、この問題意識に対して新しい実在論によって、意味の場の実在論によって答えを出していくことになるのだろうが、この解決策がどの程度妥当であり、どの点で批判すべきかということは、今後、彼の本を実際に読んでみて考えてみたいと思う。



 道徳的事実は、他人の立場になって考えてみた時にわかる類のものだ。……(中略)……。だから、あなたは相手の立場から道徳的事実の意味を理解するんだ。……(中略)……。
 そして理性的な人であれば、テーブルにすべての事実を議題に挙げれば、あなたに異を唱えはしない。あなたが完全に状況を説明すれば、何をすべきかをも知ることができる。これこそが、この知識がとても重要な理由だ。知識と科学は道徳観を形成する上で絶対的に重要だ。もし僕らが知識と科学を攻撃すれば、それにしたがって僕らは人間が道徳的になることを不可能に、またはより難しくするだろう。
 だから、現代の権威主義的人物が科学を攻撃することは、偶然ではないんだ。トランプのような気候変動を否定する人々は、実際の知識を疑うために科学的専門家を攻撃する。これを次の構造にまとめることができる。

 ポストモダンの独裁者――僕らの時代の多くの残念な反民主主義者、ポストモダンの悪しき利用を目論む反啓蒙活動家――には、次の計画がある。
 彼らはあなたを、あなたが知っていることを、本当は知らないと信じさせたいんだ。それは新しいレベルの厄介な計画だ。
 あなたは実際に何かを知っているが、政治の仕組みがあなたに、「現実を知らない」ということを信じさせる。……(中略)……。
 だが実際には、あなたはシリアで何が起こっているかを完璧に知ることができる。だが彼はあなたに教えはしないんだ。
 要するに、あなたが、あなた自身の知る能力を疑うということ。そしてもしあなたが知る能力を自ら攻撃するようになれば、それに従ってあなたはあなた自身の道徳観を攻撃するようになるだろう。なぜなら道徳観は、僕らの知る能力の実践だからだ。だから、もしあなたが現実を知ることは不可能か、または難しいと考えるなら、それに従ってあなたは直ちに、道徳観を理解することも難しいと考えるようになるだろう。
 そしてこれは道徳的間違いを犯す可能性を高める。(p.153-155)


以上のことから、事実を知ることができるということを主張する哲学が公的領域で必要とされているとガブリエルは言う。思想という観点から見れば、この主張は概ね妥当であると思われる。



 ドイツでは、クレジットカードすら、まだあまり受け入れられていないんです。(p.191)


本当か?もし本当なら、昨今の日本の雰囲気、すなわち、「先進国ならキャッシュレスが当たり前、日本は遅れているのでキャッシュレス決済を導入すべきだ」といった風潮は事実に反する認識から出発した議論ということになるのではないか?

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