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アヴェスターにはこう書いている?
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瀬畑源 『公文書管理と民主主義 なぜ、公文書は残さなければならないのか』

 1980年代に、対日貿易赤字が深刻になったアメリカのレーガン政権から、日本の官僚による行政指導や基準・認証制度などを利用した企業活動への介入が、アメリカからの貿易障壁となっているとの批判を受け、行政手続きの透明化や情報公開制度の導入を行うように求められました。日本の官僚制が、企業活動に「行政指導」を行うことで介入し、自由な経済活動を阻害しているとの問題意識が、当時のアメリカには存在したのです。たとえば、日本企業はアメリカの情報自由法によって、競合他社の薬品の製造認可申請書を米国食品医薬品局から入手できますが、日本側は公開されていなかったことが問題にされていました。
 そこで、官僚からの恣意的な介入を批判し、企業情報の公開を迫ったのです。1989年から90年にかけての日米構造協議でも、同様の主張がなされました。
 そのため、市民からの要望とアメリカからの要望の両方からの圧力により、日本政府は行政手続きの透明化を図るための行政手続法を1993年に制定することになりました。(p.32-33)


ここで重要なのは、日本政府はこうした外圧がなければ行政手続法を制定しなかっただろう、ということである。手続きの透明化やルールの明確化などにいかに後ろ向きだったのか、ということに注意が必要である。それは、次の引用文で語られることともつながっている。



 情報公開運動が地方や民間で進み、アメリカからの要望があったにもかかわらず、政府の動きは鈍く、情報公開法の制定には、1993年の自民党の下野が必要でした。(p.33)


自民党がいかに情報公開に後ろ向きなのか、行政の透明化(公平さや公正さを確認できるようにしておくこと)を避けようとしてきたのか、といったことはよく理解しておく必要がある。この政党の存在や活動自体が、情報公開や行政の透明化、さらには法の支配や立憲主義といったルールを適正に適用しようとする考え方に対して敵対的なのである。それは、一般の市民にとって敵対的であることを意味する。一般の市民には必要な情報を知らせずに、自分たちだけで情報を独占し、都合の悪い情報は隠蔽し、税金として市民から強制的に集めた金を自分たちに都合の良いように恣意的に使おうとしているということだからである。(常にそのように振舞うのではないとしても、こうした行動を防ごうとしていないのであるから、このように振舞おうとしていると指摘されても、それに反論することは事実上不可能である。次の引用文における安倍政権の対応を見れば、一目瞭然であろう。)

90年代を通じて行われた政治改革による制度の変更は、こうした隠蔽体質、恣意的な権力行使の志向をさらに強めることになった。こうしたお膳立てが揃った上で、これを最大限に利用しているのが安倍政権である。特に、90年代以前よりも格段に強くなった権限を利用してマスコミに批判をさせないことで、政権のイメージ悪化を防ぎ、何か仕事をしているかのような印象操作をしていることが大きい。



 では、現在の安倍政権はどのような方針で、公文書管理の問題に対応してきたのでしょうか。
 実は安倍政権は、加計問題への対応策として、2017年12月に公文書管理法の運用規則である「行政文書の管理に関するガイドライン」の改正を行っています。この改正では、公文書の作成に関して、文書の「正確性」を期するために、複数の職員による確認を経た上で「文書管理者」(課長級)が確認すること、また外部との交渉記録に関しては相手からも確認をとることが付け加えられました。
 加計問題では、文部科学省から様々な文書が出てきましたが、安倍政権はそれらの文書を「怪文書」にしたい、つまり公文書ではないと言い切りたかったのでしょう。そのために、複数の人が確認し、課長が認めたものでなければ行政文書ではない、というルールを作りあげてしまった。(p.42)


このことはもっと広く知られるべきであり、こうした常軌を逸した行動は改めさせなければならない。安倍政権はいかに情報を隠すかに関心があり、いかに自身に都合の良い情報だけを社会に行き渡らせるかということに腐心している。ある意味、恣意的に権力を行使するために恣意的に権力を行使している。



 私は、森友・加計問題、中でも近畿財務局で起きた問題からは、「負の教訓」を得る人が大勢いるのではないかと危惧しています。文書の中に安倍昭恵さんの名前をきちんと書いてしまったことがまずかった、問題だったと受け止めた官僚は多いはずです。そうなると、官僚は当り障りのないことしか文書に残さないようになる。(p.44)


現に、「公開しない」という目的のために、公文書を作らない・記録は公文書ではないことにする・捨てるといったことが行われている。



 また、現場に担当官を置いたとしても、彼らにどのような権限を持たせるか、どのように教育を行うかということが問題になってきます。……(中略)……。
 ……(中略)……。そのためには、どのように各省庁への監督を行っているのかを、徹底的に公開すべきだと思います。「作るな」という指導をする可能性もありうる以上、管理監が行っていることの透明性が必要不可欠です。(p.45)


同感。
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