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アヴェスターにはこう書いている?
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早川タダノリ 編著 『まぼろしの「日本的家族」』
早川タダノリ 「「日本的家族」のまぼろし」より

 服部があるべき姿として、あるいは復元すべきものとして掲げている「昔、朝と晩の二回は一家団欒で食卓を囲んだ」という家庭モデルもまた出自があやしい。その「昔」とはいつのことだったのかさっぱりわからない。というのも、日本に「食卓」が登場したのはそんなに昔のことではないからだ。
 文化人類学者の石毛直道らの研究によれば、明治後期から「卓袱台(ちゃぶだい)」が普及するまでの長きにわたって、家庭で使われていたのはもっぱら箱膳だった(使用しなかった階層や地域もある)。箱膳とは、普段は一人分の食器を入れておく箱で、食事の際に蓋をひっくりかえせば銘々膳になる道具のことだ。
 この箱膳が卓袱台に取って代わられたのが大正末期だった。卓袱台の利点は脚がたためることで、食事が終わったら台を片付けてそこに布団を敷くことができた。つまり食事する部屋を寝室にチェンジすることができ、都市部に集中し始めていた労働者の狭小な家屋にマッチする道具だったのだ。(p.22-23)


右派(多くは「保守」を名乗る反動主義者たち)の言説で、回帰すべきとされる家庭モデルには歴史的な根拠がない。本書が「日本的家族」を様々な仕方で取り上げるのも、そのためであろう。

ちゃぶ台が労働者の登場と軌を一にするものだったという点は、なるほどと思わされ、非常に興味深い。都市部のものというイメージがあまりなかったので意外性がある。



 前掲の石毛らの調査によれば、テーブルとイスを使って食事をするスタイルになって、食事中の家族の会話も不作法ではなくなった。ここでようやくアニメ『ちびまる子ちゃん』(さくらももこ、フジテレビ、1990年―。『サザエさん』〔長谷川町子、フジテレビ、1969年―〕の場合は卓袱台を利用している)に見られるような、現代に生きる私たちが容易にイメージできる「一家団欒」像が現出するにいたるのである。
 しかし、1960年代半ばに誕生した食卓の「団欒」は、80年代初めに崩壊し始める。平均給与水準の低下と女性のパート労働の増大などを社会的条件として共働き家庭が激増し、「お母さんがいつも食事を用意して家族そろって食べる」というジェンダーバイアスにあふれた家族モデルは、維持することが困難な幻想となっていくのである。(p.24-25)


右派(自称「保守」の反動主義者たち)の多くの言説で回帰すべき理想とされる「日本的家族」は60年代から80年代頃の20-30年ほどしか一般化したことがない特殊な家族モデルであるに過ぎない。



堀内京子 「税制と教育をつなぐもの」より

取材し、記事を書いたのが2015年から16年。加計問題が報じられたとき、まるで似たような構図が同じ時期に起きていたことに震撼した。筋書きは内閣府で、需要の算出根拠が不透明、担当官庁(三世代同居は国交省、加計は文部科学省)が難色を示していたのに、安倍首相の肝いりで(三世代は「首相指示」、加計問題は「総理のご意向」)で一気に実現に向かった、という点だ。(p.136-137)


三世代同居住宅へのリフォームで税額控除が受けられる制度の決定過程と加計学園に獣医学部の新設が認められたことの決定過程に明らかに客観性のない恣意的な権力行使(有権者の負託を受けていない正当性がない権力行使)があった。自衛隊の日報問題、森友問題、加計問題といった一連の事件と同じ構図は別のところにもまだまだあり、安倍政権ではこのような恣意的な権力行使が日常的に行われていると見るべきだろう。少なくとも安倍政権が、疑惑を否定し得たことは一度もない

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