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アヴェスターにはこう書いている?
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大谷渡 『台湾と日本 激動の時代を生きた人びと』(その2)

 日本では、本当に待遇が良かった。東京に住んでみると、日本人が台湾のことをあまり知らないことがわかった。高等学校へ入った時、「台湾ってどこ。」と尋ねられたことがあった。台湾に対する認識がないから、台湾に対する差別もわからない。むしろ、台湾からよく来たと言って、歓迎された。中学時代に思い描いたように、日本での生活はよかった。(p.162)


ここの叙述は非常に腑に落ちた。台湾在住の日本人は本島人(台湾人)を差別することがよくあったが、日本に留学に来ると良くしてくれたという思い出はしばしば語られるが、その理由が非常に明快になった。ただ、台湾という土地にあまり関心がなかったが故に差別がなかったということであり、これもあまり良いこととは言えないのだが。



 ただ、東大在学時代には、今も忘れられない嫌な出来事が一つあった。一高から東大医学部に入った劉沼光と二人で、東京の街中を歩いている時のことだった。派出所の前を通った時、「学生さん、ちょっと。」と呼ばれた。「学生証を見せてください。」と言うので差し出すと、最初の言葉が「おっ、なんだ、台湾人か。」だった。「ここは大稲埕じゃないんだよ。」「よし中へ入れ。」と言われて二人で派出所の中に入ると、警察官四、五人がいきなり殴りかかってきた。恩魁は手と腕で頭と顔をかばったので歯を折られなかったが、劉沼光は歯をやられた。大稲埕はいまはもうほとんど廃れているけれど、昔は台北でいちばん賑やかな町だった。あの警察官は大稲埕を知っていたから、台湾で警察をやっていたに違いないと、恩魁は確信している。戦争のためにみんなが一生懸命にやっているのに、学生がぶらぶらと街中を歩いているのが気に食わなかったのだろう。呼び止めてみると、以前から偏見をいだいていた台湾人だったので、暴行に及んだものと林恩魁は推測しているのである。(p.164)


狂っているとしか言いようがない。ネトウヨ的なヘイトスピーチをまき散らす差別主義者が現代日本にもそれなりの数存在するが、言動に共通性を見てとらないわけにはいかない。逆に言うと、戦時中までの日本にもネトウヨ的な差別主義者がリアルに存在しており、現在もその当時と同じように存在している、2つの時代にはそういう共通性がある。



 終戦後、翁通楹と二人で牛肉を煮て乾かし、それをほぐして売っていた。満州では日本人が憎まれていたので、日本人とは離れて行動した。(p.166)


当時の台湾人のアイデンティティが、完全に日本に同化したわけではなかったことがよくわかる。満州では日本人が憎まれていたという事実も重要。憎まれるようなことをしたという事実がその結果をもたらしている。



東京で警察に殴られたことで、日本への印象を悪くしたけれど、私は小学校から中学校、さらに高等学校から大学まで、全部日本教育なんです。日本は私にとって育ての親。産みの親は台湾。台湾の人たちは、みんな日本が育ててくれたと思っている。育ての親ゆえに感情が厚いんですよ。それなのに、日本は台湾を相手にしない。日本には日本の立場があり、中国という国が後ろに構えているからかもしれないけれど、あまりにも情けない。(p.168)


この日本に「見捨てられた」ような感覚は、台湾における日本語世代の最後の世代(皇民化世代)の人の多くが抱いていた思いだったと思われる。このことを日本の人々は知っておく必要があると思う。



日中戦争が始まってから、新竹高女では、武運長久祈願で町外れの新竹神社への参拝が行われていた。秋桔が参拝に行かなかったことを、国語担当の安田教諭が知っていた。彼はそれを咎めて、「支那人だ、チャンコロだ、支那へ帰れ。」と罵った。その時秋桔は、「私は支那人ではありません。」と泣いて言ったという。公学校から日本教育を叩き込まれた彼女の頭には、「支那」も何もなかった。漢民族だけれど、私は日本人だと、秋桔はそのつもりだったのである。病後で体調不良であることを知っていれば、あんな叱り方をしなくてもよかったものをと、いまだにあの時の嫌な気持ちを思い出す。(p.173)


この安田教諭なる人物は、腐りきった差別主義者というほかなく、教師として人を教える資格などないというべきだろう。ただ、当時の台湾における差別意識がいかなるものだったのかを示す認識根拠として、また、このような愚かなことを繰り返してはならないという反省のための教材として、このエピソードは記憶されるべきである。ただ、現代の排外主義者たちはこれと同レベルの発言をしており、そうした行為こそ排除する必要がある。



高等科時代には、日本人教師による差別教育の体験がある。教師が台湾人生徒に対し、「支那人根性を叩き直す」「清国奴(チャンコロ)」と罵ったのである。日本から来た人に差別を感じたことはなかったが、台湾で育った日本人には差別意識があった。台湾人生徒の啓三たちは、日本人を陰で犬と言っていた。(p.186)


一つ前の事例などと合わせると、教師による差別はかなり見られたらしいことがわかる。昭和初期の社会の不健全さが感じられる。



 台湾においても、統治下にあった台湾の人びとが疎開を強いられ、空襲の恐怖にさらされ、大きな被害を受けた。この事実も当然のことながら、等閑視されてよいはずはない。太平洋戦争中に、徴用や徴兵によって台湾の多くの人びとが犠牲になった事実とともに、空襲による被害についても忘れてはならないと思う。(p.221)


同意見である。

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