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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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大谷渡 『台湾と日本 激動の時代を生きた人びと』(その1)

 台湾では、日本人は台湾人を差別した。植民地の者だと馬鹿にした。だが、日本へ来てみると、内地の日本人には全然それが感じられなかった。台湾からわざわざ来たんだからと、大事にされた。(p.49)


昭和16年から18年頃に福井高等工業学校に入学した台湾人についての記述より。これと類似の記述は本書では他の個所に出てくるが、本書以外の本でも同じようなことが書かれているものがある。台湾に住む日本人は少数派でありながら、台湾人を統治する側の立場におり、その立場を維持し続けたいという心理が働くのに対し、日本に来た台湾人の周囲の日本人は多数派であり、台湾人は土地勘もなく、助けになるような人間関係からも断ち切られた弱者である。

前者のような状況では、優位を失うかもしれないという脅威が潜在的にあるため、優位を失わないようにしたいという心理が働き、台湾人を低く見たいという思いに駆られる。後者のような状況では、優位を失うかもしれないという脅威は全くないため、弱者を助けてあげようとする心理の方が前に出やすい。このような関係性の相違が差別的な言動の有無(強弱)に関連していたのではないか。(もちろん、様々な要因が複合しているであろうことは想像に難くないが、要因の一つとしてありうるのではないか。)



 そのころ、小さい子供たちは、用足しに便利なように、お尻のところを開けたズボンを履いていた。(p.69-70)


大正14年頃のこと。大陸では10~15年くらい前でもこの類のズボンを履いている子がおり、町中の地面やごみ箱の中に用を足させている光景をよく目にしたものである。最近はあまり行っていないが、現在はこのようなことはなくなったのだろうか?(昨年深圳に行ったときには見かけなかったように思うが、滞在した場所も少なく時間も短かったので何とも言えない。)

台湾ではいつ頃までこのような状況だったのだろうか?



中学を卒業して台湾島内で上級学校に進学するのは、非常にむずかしかった。台湾島内で進学できる上級学校はごく限られていて、台北高等学校・台南高等工業学校・台北高等商業学校・台北帝大附属医専部・台北帝大附属農林専門部(43年に台中高等農林学校)の五校しかなかった。しかも、台湾人学生の入学比率が決められていた。日本にはたくさんの上級学校があり、選択の幅は大きかった。だから、日本で高等学校や官立私立の専門学校、公私立大学の予科や専門部へと進む人たちの方がはるかに多かったのである。(p.156)


例えば、李登輝が京都帝国大学などに入学したのもこのような流れの中で起きたことである。(台北帝大には台湾人の入学制限があったため入らなかったとされる。)

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