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アヴェスターにはこう書いている?
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胎中千鶴 『歴史総合パートナーズ6 あなたとともに知る台湾――近現代の歴史と社会――』

統治者が近代化政策を進め、教育水準が上がれば上がるほど、それによって誕生した知識人たちは、自身の主体性とアイデンティティを自覚し、統治者からの自立や自治の道をみいだそうとするのです。(p.40-41)


台湾を考えるに当たって、日本の植民地であったことをどのように位置付ければよいか。知れば知るほど難しく感じている。日本統治期に近代化が進んだことは確かであり、これにはその地に住んでいる人にとってもメリットはあったとは一応言い得る。ただ、植民地支配には当然、様々なレベルで差別が存在していたことも事実であり、そのような状況の中では、当然、ここで指摘されているようなある種の矛盾というかジレンマが生じる。



 実は総督府は、台湾の山林地域にある貴重な資源を手に入れようとしていたのです。それは主に、樟脳とヒノキでした。……(中略)……。これらの資源を山奥から切り出し、ふもとまで運搬するには、広い道路と多くの労働力が必要です。だから総督府は、原住民居住地区を管理し、そこに住む人々に労役を課したのでした。(p.44)


台湾総督府が台湾原住民を厳しく支配・管理した理由。納得。



 台湾は、実は国民党政府の独裁政治が続いた1950年代から80年代にかけて、順調な経済成長を遂げています。……(中略)……。
 ……(中略)……。
 これについて台湾の歴史学者、何義麟さんは、「日本の研究者は植民地時代の遺産を、米国研究者は同国の経済援助を」「強調する傾向」があると述べています。日本人もアメリカ人も、どこかで「台湾の成功は自分の手柄」と思いたいのかもしれませんね。(p.68-69)


この指摘は的を射ていると思われる。



たとえば、1977年に台湾を訪れた外国人は93万人余、日本人はその60%を占めており、多くが観光客でした。
 ただ、現在と異なるのは、当時の日本人客の大半が買春目的の観光だったということです。(p.72)


潮目が変わったのはいつ頃だったのだろうか。感覚的には90年代になると変化が傍目にも見えるようになってきていたようには思われるが、90年代も初期の頃にはまだ何となくかつての旅行目的のイメージが残っていたようにも思う。



 しかし一方で、この日本人たちは買春以外の台湾にほとんど興味をもちません。車窓から農村の風景をみても日本の故郷になぞらえるだけ。中国語を聞いても日本語の美しさとくらべて軽んじるだけ。どんなに表面的には礼儀正しくても、台湾という場所への植民地主義的なまなざしは隠しようがありませんでした。
 台湾への優越感と無関心。この小説における黄春明さんの視線は、買春という下品な行為より、その向こうにみえる日本人のメンタリティそのものに注がれていると私は思います。(p.74)


こうした態度自体は、現在においても完全になくなったわけではないように思われる。

旅行に限らず、例えば、日本に来た外国人に対して何をしに日本に来たのかを訪ねる番組や海外で有名な日本人は誰かといったことをランキングするような番組などがあるが、これらの番組は国際的な要素があるように見えるが、私見では、全くそんなことはない。(もちろん、これらの番組から諸外国の状況などについての洞察を得ることは可能である。)少なくとも、グローバルな規模での視野はなく、内向きのナショナリズムを刺激するようなものでしかない。これらの番組では、その外国人の出身地についての理解を深める他所は全くないように思われるし、有名な日本人を問題にするのであれば、われわれは彼らの国の有名人としてだれを知っているだろうか?といったことも自問する必要がある。



つまり、日本統治期の近代化は、日本人が一方的に与えたものではなく、台湾人が主体的に受け入れたものだという歴史観です。(p.85-86)


明治期の日本の歴史について、西洋の文明を日本側が取捨選択して取り入れたと考える歴史観と同じことが、台湾の歴史についても言える。しかし、「日本の側」から見ると、途端に台湾史をそのようには見ずに、別の見方をしている。このバイアスに気づいていないことが問題だろう。



灌漑施設の建設は、中南部に米とサトウキビの一大生産地をつくり、日本の食料補給地にしたかったからにほかなりません。
 それでも現実には、施設の完成によって恩恵を受けた数多くの農民たちがいました。そして彼らは戦後も給排水路とダムを大切に維持・管理し、現在まで利用しています。完成してからすでに88年。近代的な施設をつくったのは日本人ですが、それを運用し、戦後70年以上にもわたってメンテナンスをしてきたのは台湾の人々でした。嘉南の人たちにとってみれば、八田與一の功績も含めて、すべてが自分の住む土地の記憶だと胸を張るのは自然なことです。
 しかし日本人は、つい日本が支配した時代の歴史だけを切り取って台湾をみてしまいがちです。八田與一を台湾人が評価すると、それを植民地支配の歴史とイコールととらえ、日本が「感謝」されていると勘違いする人もいます。おそらくその人たちは、「日本史」の文脈で台湾を眺めているのでしょう。その態度の向こうに、台湾の戦後史を軽んじる意識が透けてみるのは私だけでしょうか。(p.86-87)


八田與一が台湾で評価されると日本が感謝されていると勘違いしている人たちというのは、日本の右派で台湾を論じている人たちに非常に多い。日本における八田與一認識や台湾認識は、ある意味で、彼らによって曇らされている



 というのも、青田街には戦前は確かに日本人が住んでいたのですが、戦後は大陸から来た外省人が多く居住しました。だからこの場所は、外省人の暮らしとも深く結びついた街ともいえるのです。台湾人が日本家屋をみたとき、誰もが日本や日本人を連想するとは限らないことが、この例からもわかります。(p.88)


日本風の建築を見ると、日本人は日本を連想し、日本文化と関連付けて理解しようとするが、台湾人から見ると、そのような見方は必ずしも成り立たない。この点は歴史を見る上で非常に重要な見方だろう。



台湾を理解したいと思うなら、彼らが否応なく向き合わざる得なかった「日本」と、そこから主体的に受け入れた「日本」があることを、まず想像してみることが必要ではないでしょうか。(p.88)


この見方は日本と台湾の関係を考える上で非常に重要と思われる。



 また、多文化主義そのものが、単なる政治的な戦略にすぎない、ととらえる意見もあります。つまり中華人民共和国との違いを際立たせ、「台湾らしさ」とはイコール「自由と民主」であると世界に主張するための、いわば独立をめざす動きの一端であるという見方です。(p.94)


台湾は日本よりもリベラルな思想が具現化している度合いが高いと私は考えているが、確かに、ここで指摘されているような動機から推進しようという力が多少なりともあるからこそ日本や他のアジア諸国よりも比較的スムーズに進んでいるというのはあるのかもしれない。

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