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アヴェスターにはこう書いている?
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マックス・ヴェーバー 『政治論集1』(その1)
テーオドーア・ホイス 「マックス・ヴェーバーとその現在」より

 マックス・ヴェーバーという現象は、目覚めている同時代の人にとって、そして、耽溺的な怨念の虜となったり、耽美的な気取りのために憂き身をやつしたりはしない青年にとって、なにを意味したか。これについてヨーゼフ・シュンペーターは、〔ヴェーバーの〕突然の死に打ちのめされてまだ動揺の続くなかで、次のような飾らぬ簡潔な言葉を発した。「彼の勢力圏を通ってきた者は、将来をよりはっきりと見るようになり、将来に向けてより健やかにになった」と。(p.34)



このシュンペーターの言葉は、私にも確かに実感がある。



「ヨーロッパ列強とドイツ」より

 わが国の対外的利害は、純然たる地理的条件に著しく規定されています。わが国は権力国家です。どの権力国家でも、他の権力国家が隣接していることは、その国の政治的決定の自由にとって障害となります。なぜなら、隣接の権力国家のことを考慮しなければならないからです。どの権力国家でも、できるだけ弱い国に、せめてできるだけ少数の権力国家にしか取り巻かれないことが望ましいのです。ところが、ドイツだけが大陸の三大強国と国境を接し、しかもそのうちの最強国と隣接し、その上最大の海軍国とは間接的に隣り合わせです。したがってこれらの国々の邪魔になっています。わが国の運命はこのように定められています。地上のいかなる国といえども、このような位置にある国は他にありません。(p.178-179)


ドイツ帝国成立後のヨーロッパにおける地政学的な位置を的確にとらえている。ドイツが統一される以前には、逆に、ドイツの地域は小邦が分立していた権力の空白地帯であったために、緩衝地帯として機能してきたものが、統一国家ができたことによって緊張の場となった。このことが第一次大戦や第二次大戦が発生し、どちらにもドイツが深く関わることとなった要因であった。

ちなみに、ドイツが隣接する三大強国とはイギリス、フランス、ロシアである。



いずれにせよ、今日のわれわれが政治的観点からではなく、たとえそれがどんなに納得のいくものであろうとも、憎悪の感情からわが国の政治目標を定めようとするなら、愚かなのはわれわれの方です。わが国に対する憎悪は、フランスがもっとも強く懐いています。ところがわが国では、憎しみはもっぱらイギリスにたいして向けられています。これは、オーストリアの憎しみがイタリアにたいしてのみ向けられているのとちょうど同じです。双方のばあいについて憎しみが人間的にみていかに納得できるものであろうとも、――おそらく!――今大戦中に犯した真の失策は、まさしくこの憎悪という冷静さの欠如(ウンザッハリヒカイト)から生じたのです。
 さらに、冷静な政治とは虚栄の政治、すなわち大言壮語や切り札の政治ではなく、無言の取引の政治を意味します。(p.180)


最後の一文などは、明らかにヴィルヘルム二世に対する批判が含まれているが、上記引用文は全体として現在のアメリカのトランプ政権に当てはまる批判になっているように思われる。

特に「虚栄の政治、すなわち大言壮語や切り札の政治」というのは、まさにトランプのやっていることであると思われる。メキシコ国境の壁建設というあたりも憎悪の政治であるし、貿易赤字を問題視して中国などと貿易戦争をするというのも、中長期的に見て、アメリカの世界での覇権喪失を早める結果になるように思われ(中国の企業はむしろアメリカの態度を逆手にとって中国政府の国有企業優遇を改めさせ、それによって民間企業の活力を高める方向に利用しようとしている向きもある)、そうだとすれば、「アメリカファースト」「アメリカを再び偉大にする」というスローガンとは逆の事態を招くものであろう。



「帝国憲法第九条の改正」より

 議会に所属している指導的な帝国官職の保持者がそのままの資格で連邦参議院の使節に任ぜられるなら、彼は、決定的に重要な点で自分の政治的信念に反するようなやり方で訓令をうけたときには、職をやめなければならない。指導的為政者ならば、すでに今日でも、そのように行為すべきであったのだ。このことを行政の長にしっかりと教え込むことが、まさしく意図された改革のもっとも重要な目的のひとつであることは言うまでもない。この改革によって、わが国では相変わらず、為政者の責任と官吏のそれとが混同されているという状態に終止符がうたれることが望ましい。両者の責任のとり方は、まったく別である。責任はいずれの職にもあるが、しかしそれぞれの職にのみふさわしい責任というものがある。官吏は、上級の官庁が彼に与える指令に重大な疑義を抱くときは、報告と異議申し立てによってその疑義を認めさせることができるし、重要なばあいにはそうすべきである。しかし上級の機関が彼の意見に反して指令に固執するならば、誠実にしかも自分自身の意見をまったく押えて、これを実行することが官吏の職務上の義務というものである。こうしたことができる能力こそが、彼の職務名誉となる。政治的に責任のある国政担当者は正反対である。彼は政治的に決定的な点で、自分の良心にしたがった政治的信念と一致するような訓令を出せないときは、いつでも職を去らねばならない。彼がそうしないなら、それは軽蔑すべき政治的義務の不履行であって、彼の〔政治的〕節操のうえに重大な汚点を残すことになる。このような人間のことを、ビスマルク候はへばりつきやと呼んだのであった(彼は、たいしたことのない問題ではあの原則どおりに行為した)。(p.236-237)


帝国憲法9条の改正はウェーバーが繰り返し主張していた論点の一つである。そのことの詳細はここでは説明しないが、ここで述べられている官吏の責任と政治家(国政担当者)の責任の対比は、『職業としての政治』などでも繰り返される有名な区分である。ウェーバーは当時のドイツの政治状況について、ドイツでは政治家が育たず、官吏が政治を行っているとして嘆いていた。すなわち、政治的に指導的な立場にあるべき職にある者が、ウェーバーのいう政治家の責任において行為するのではなく、官吏と同様にしか行為できていないことを問題視していた。

この点は、現在の日本の政治(特に安倍政権になって目立つようになってきた問題)にもかなり当てはまる批判ではないか。特に責任のとり方という点で、安倍はある大臣(総理大臣を含む)が不祥事を起こした場合であっても、その不祥事についての事実の解明や再発防止の取り組みなども、その大臣が職を全うすることで責任を果たしたい、という論を主張する。まさしく「責任」という言葉の曖昧さを使った論の立て方で、欺瞞的であり汚いやり方という点で非常に安倍晋三に似つかわしいとは思うが、このようなやり方にメディアなどが十分に論理的に批判していない点は問題である。これを許していると戦前のドイツの轍を踏むことになってもおかしくない。

ある大臣が不祥事に関わった(と疑われる)ならば、その人にとっては、その問題は解明したくない問題となる。解明したくないはずの人間が、その解明や再発防止を実施することで責任を果たすというのは、ウェーバーの言う官吏の責任のとり方である。その場合、必要なことは、解明や再発防止といった課題に対し「誠実にしかも自分自身の(解明したくないという)意見をまったく押えて」実行することである。果たしてこのようなことが可能だろうか?少なくとも、ここ数年、安倍政権下で起こった様々な政府の不祥事とそれに対する「職を全うすることで責任を果たす」とした人々が関わっている案件で、これが実行されたと思えるような事例は皆無である。

官吏の場合、職務上の権限の範囲などが明確に決められており、何より常に彼より上位の権限を持ち、同じ組織に属するために日ごろの言動をチェックすることもできる官吏が監督するという建付けになっているからこそ、誠実に、官吏自身の意見に固執せずに実行することも一般社会よりはやりやすい。しかし、大臣という立場にいる者には同じことを期待することは不可能と言ってよい。彼を監督すべき代議士たちは、官庁の中におらず、同じ情報を共有できない立場にあることがその要因の一つである。自分に権限を与えている側の人間に対して、いくらでも隠し事ができるという考えが共有されている場合(ここは安倍政権で起こった様々な不祥事への行政側の国会に対する対応を念頭に置いている)、誠実な対応などと言うものが期待できると思う方がおかしい。

現代日本の場合、国会には国政調査権があるが、これが機能しない仕組みが現在の制度には別途組み込まれてしまっている。官僚の政治家による任用がその最たるものである。このような仕組みにより、内閣に都合の悪い情報はもみ消されることになる。90年代の政治改革による「政治主導」「官邸主導」を追求した結果がこれであり、安倍晋三という、極めてずる賢く、公正さのかけらもない人物が権力を握ったことによって、制度の問題がはっきりと露呈するようになった。彼の力量が優れているからではなく、彼のような人間にとって都合の良い制度設計になってしまっている(それは権力を握った者以外にとっては不利益以外の何物でもない)という理解はもっと広く共有されるべきである。


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